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[454]ハイジおばさんの断捨離日記ー42

✳️まずどこに逃げればいいの?〜その2

 区議との対話を通して色々知るうちに、災害時の避難に関して、実に様々の似たような用語が使われていることが浮上してきた。

まず、東京都の『東京防災』と、区(私の場合は世田谷区)の、防災に関する用語の食い違いだが、これは是正が遠い話になりそうなのでひとまず脇に置き、世田谷区の例だけを見てみた。


その1) 「避難場所」と「避難所」の違い
「避難場所」は(一時的に)避難するところ。
「避難所」は自宅に戻れなくなった人が一定期間過ごす(生活する)場所。


世田谷区の定義では、上記だそうだ。
しかし、先に紹介した松原小学校の看板では、
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と違う呼称が使われている。

もうここで4種類の呼称が乱立している。これだけでも災害時の区民の不安と不信を招くことは想像に難くないし、区政に関してはこの程度のぼんやりした信頼感しか持たないだろう。

緊急時の呼びかけは、視覚的にも聴覚的にも、とっさに理解できるものでなくては意味がない。区政の担当者には、まずこの点を理解してもらう必要がありそうだ。
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[453}ハイジおばさんの断捨離日記ー41

スイスのル・コルビュジエ

世界遺産にも認定された上野の国立西洋美術館で開催中の、ル・コルビュジエ展。
フランスの建築家として後援も全てフランス関係である。

しかし彼はれっきとしたスイスの出身者で、スイス名はジャヌレ。
「ピュリスムの時代」というサブタイトルに、一片のスイスを発見できるかと期待して、新緑の上野の森に出かけて見た。

ル・コルビュジエの出身地は、スイス北部フランスと国境を接するジュラ地方のラショードフォンだ。フランスとスイスを分けるジュラ山脈のその東側、かつて宗教改革の時に、ユグノーと呼ばれるフランスの新教徒が逃れてきた地方である。スイスのシベリアと呼ばれるこの地方には、新教徒の末裔が多くすみ、名前にもユグノーとかユグナンとかが残っている。
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スイス時計産業の中心地であるラショードフォンの街には、ル・コルビュジエが建てた建物がいくつか残っている。その中で私が特に心惹かれたのは、彼が両親のために建てたという「白い家」であった。小高い丘の上にあって、外見より中は広々として、コルビュジエ独特の空間が広がる。

この空間の空気は展覧会の図面では表せない。
スイスからだんだん離れていった彼の当時の作風を見ながら、隣接して展示されていたこの国立西洋美術館常設展の数々に、何かホッしたものを感じたことは否めない。


[452]ハイジおばさんの断捨離日記ー40

✳️まずどこへ逃げればいいの?

我が住まいの地区の第2避難所と称されている、自宅から徒歩20分の松原小学校の脇を通ったら、写真のような看板が2枚並べて掲げられていた。

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災害一時避難所の呼称も、指定避難所のそれも、似ているが初めてお目にかかる。
もうこれで、避難所の呼び名も5〜6種類お目にかかった気がするが、実在の場所は明大和泉校舎一帯とこの松原小学校の二ヶ所だけだ。

しかもこの第二次避難所とされる松原小学校の看板を見ると、火が燃え広がったら、(第一次避難所である)明大和泉校舎へ逃げてください、と書かれてある。逆じゃなかったのか???


サッパリわからん! 例の区議からもサッパリ応答がない。

ともかく東京都発行の『東京防災』と、世田谷区からの情報に統一がないのは、都と区の連携がきちんとなされていないことの証拠ではないのか?

和田堀浄水場と、世田谷区の連携は、区民の生命にも関わる大事である。しかしどうやら都政も区政も、区民の生命を守ることより、目下の選挙の方が大事のようだ。

[451]ハイジおばさんの断捨離日記-39

✳️災害が起きたら! 第一次避難所と第二次避難所

 えーと、我が家の住所で指定された災害時の避難所は、明治大学のキャンパスと松原小学校、そのどちらでもいいのかと思っていたら、避難先にも第一と第二次があると例の「防災手帳」にある。

 理論上の説明としては、まず一時避難所へ逃げ、そこから高齢者とか介護度の付いている人が第二次避難所に移る、とある。でも松原小学校に近い人は、明治大学へ行かずに、近い方に逃げ込むのは当然だろう。それはどうやって交通整理するのだろう。
 
 我が家から明治大学キャンパスは、普通5−6分でいける。しかしそれは素手の時であって、避難となれば、避難用のリュックかカートを持って甲州街道を渡らなければならない。地震などで高速道路が落下したら、どうやって向こう側へ渡れると言うのだろう。

 考えれば考えるほど非現実的に思えて、馴染みの民生委員に電話してみた。
「おっしゃる通りなのです。災害時は甲州街道がブロックされて渡れないことは十分に考えられるのです」とのこと。

 近くに東京都の水道局管轄の広大な浄水施設がある。この場所が避難所に挙げられていないのは、これが世田谷区の所有でなく東京都の管轄だからと言うことらしい。DSCN1666_convert_20190322215043.jpg
目下、井の頭通り矯正工事の、都水道局和田堀浄水場の敷地には、たくさんの桜の木があった。

 以前に世田谷区の区議がなんでもお話を伺いますと言うので、今改装中のこの水道局の施設を世田谷区の僻地である松原1丁目や大原地区の福祉に使えないかと詰め寄ったが、「ああ、そのあたりは世田谷区のハズレですからねえ」で、チョン。

 こうなると、自分の身は自分で守る、と言う原点に帰らざるを得ない。

それにしても、災害=避難、と言う図式が喧伝され過ぎているのではないか? 
どんな場合に避難し、どんな場合は避難しないで自宅で守るか?について指針がない現状では、やっぱり自分で考えるしかないか!


 

[450]ハイジおばさんの断捨離日記ー38

🌠イチロー引退

 長らく東京新聞をとってきたのは、料金が安かったからである。一ヶ月で数百円の差とはいえ、新聞の古紙として出すときには、抵抗がなくもなかった。

 それがこの4月から300円値上げしますとのこと。

 これこそ朝日新聞への復帰を決めるチャンス! 大げさだが、朝日の強引な勧誘を毛嫌いしていた自分を心変わりさせたのは、ここ十数年来、東京新聞のタイトルの付け方が、常にピンとこないできたむず痒さだった。

 たった数文字のタイトル!素人の自分が添削などできるわけはない。しかし、東京新聞のタイトル付けを見るとき、いつでもどこといえないピントのズレを感じ、またどこにもそれをぶつけられないもどかしさを感じてきたのだった。

 一体どこが違うのか???

 昨日、今日とイチローの引退記事で、一面のみならず三面まで総動員の両紙である。

 メインタイトルはどちらも『イチロー引退』日米4367安打も同一。

 違うのは、「後悔などあろうはずがありません」(朝日)に対し、45歳「この大歓声、後悔ない」(東京)の部分、ほとんど差がないのも珍しい!

 この2つの文章で、長年疑問に思ってきた両新聞の、タイトル付の優劣を判断するのは少々無理があるが、あえて極論すれば、東京新聞は、しばしば表現のスタンスが一人称から三人称へとブレる。上記の2例でも、大歓声は自分ではなく観客のもので、それを聞けば自分は後悔ない、というふうに、感覚が往来する。そこでインパクトが失われる・・・・・と私は感じる。

 一週間、東京新聞と朝日新聞の両方が追加料金なしに配達されるから、これ式の素人論評は一週間は続けられる。これだけでも得した気分なのは、貧しい読者の、本音でしょう。


あと一週間で、もっと適切な例が見つかるか???
プロフィール

ハイジおばさん

Author:ハイジおばさん
スイスとのおつきあいは、スイス政府観光局から始まって、もうかれこれ40年。まだまだ奥深いスイスの魅力を追いかけています。hpもどうぞご覧下さい。
www.office-romandie.info/

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