19. スイス人は語学の天才?#5 切手に国名がない?!?
18. スイス人は語学の天才?#4 四つの言葉でコンニチワ

グリュェッツィ(独)ボンジュール(仏)ブオンジヨルノ(伊)ブンディー(ロマンシュ)
どれもスイスでこんにちは!
お父さんがドイツ語圏の出身で、お母さんはフランス語圏、学校へ行けばロマンシュ語で義務教育、といった図はスイスではざらに見られます。小さいときから、左右にいる人が、自分と違う言葉を話すという環境です。
家庭でも学校でも同じ言葉、という場合はやはり他の言語は体得しにくいので、若者たちは競って自分と違う語圏へ働きに行って、母語以外の言葉に磨きをかけます。
誰もが語学に寛容で、判らなければすぐ聞けるし、間違えても誰も笑ったりしません。違う語圏で一年も働いたり勉強すれば、もともと学校で習ってきた語学ですから、またたく間に上達するというわけです。
17. スイス人は語学の天才?#3-公用語は州によって違う
16. スイス人は語学の天才?#2-おまけに4つの公用語
4つの国語に続いて、今度は公用語のオハナシです。最近ロマンシュ語も入れて公用語も4つあって、すべてのスイス連邦の公文書は、公用語すくなくとも独仏伊の3カ国語で併記しなければなりません。ですからなんでも時間がかかりますが、スイスの人はちっとも急ぎません。
単一言語の日本では、ピンと来ませんが、スイスでは国語と公用語はこれこれしかじかと憲法で定められています。国語を国民である権利とし、公用語は義務だと表現する人もいます。ともかく日本人にはなじみにくい言語環境ですね。
さて、それでは全国を走りまわる鉄道の表示はどうなるか?
写真のとおり車両の横腹に独、仏、伊の3つの言葉でスイス国鉄の略語が書かれています。
列車内のアナウンスは色々な語圏を横断するインターシティーの場合、独、仏,英と国際的ですが、独語圏を走るときは、ドイツ語から、仏語圏を走るときはフランス語からと、アナウンスの順序を変えるという器用さですから、再び日本人にはビックリです。

15-スイス人は語学の天才?-番外
「ポショナーレ」とはフランス語か?というご質問が入りました。
察するところ、これは「prochain arrêt」 (次の停車駅は~~~のアナウンス)がそう聞こえたのかと思います。
カタカナに直すと、「プロシャナレ」が一番近いと思いますが、ご存知のとおりフランス語のRは、猫がゴロゴロと喉を鳴らす音に似ていて、日本語にないこの発音はなかなか耳に届かないものです。
ポショナーレは、もとの発音にとても良く似ていて思わず吹き出しました。
日本語表記というまた別のテーマも追ってみたいと思いますので、どうぞよろしく。
察するところ、これは「prochain arrêt」 (次の停車駅は~~~のアナウンス)がそう聞こえたのかと思います。
カタカナに直すと、「プロシャナレ」が一番近いと思いますが、ご存知のとおりフランス語のRは、猫がゴロゴロと喉を鳴らす音に似ていて、日本語にないこの発音はなかなか耳に届かないものです。
ポショナーレは、もとの発音にとても良く似ていて思わず吹き出しました。
日本語表記というまた別のテーマも追ってみたいと思いますので、どうぞよろしく。
14-スイス人は語学の天才?#1~4つの国語
スイスの国語は、ドイツ語,フランス語、イタリア語,ロマンシュ語の4つですと言うと、大抵の日本人は、スイス人って語学の天才なの?とびっくりします。たしかに彼らは、右を向いてドイツ語、左を向いてフランス語、イタリア語のメニューもすらすら読んじゃうし、おまけに正面を向いて堂々英語もこなす人が多いですから、それを目撃すると、語学アレルギーの日本人は,信じられないという顔になります。
でもここで秘密を一つ。彼らのドイツ語はスイスジャーマンと呼ばれる、正統ドイツ語 とは似ても似つかないもの、フランス語はフランス人から言わせると、ノロ~いと言われるのんびりしたもの。4つ目の国語のロマンシュ語になると使う人は3~4万人に限られているのです。つまりスイス人の外国語は、うまいというより、通じる語学、ちょっとくらい格変化を間違えても、会話できることに意味があるようです
でもここで秘密を一つ。彼らのドイツ語はスイスジャーマンと呼ばれる、正統ドイツ語 とは似ても似つかないもの、フランス語はフランス人から言わせると、ノロ~いと言われるのんびりしたもの。4つ目の国語のロマンシュ語になると使う人は3~4万人に限られているのです。つまりスイス人の外国語は、うまいというより、通じる語学、ちょっとくらい格変化を間違えても、会話できることに意味があるようです
13. スイスアルプスの登山史6―ミューレン駅のウインドウ

ミューレンにある、シルトホルンへ登る大きな空中ケーブルの駅のショーウインドウに、1969年にアイガー北壁ジャパンルートを開拓した今井通子,加藤滝男,加藤保男,天野博文,根岸知,久保進の6人の活躍を示すポスターや、彼らの当時の登山用品が展示されています(写真)。
もう40年余りもここに飾られて、やや埃をかぶったこの展示品は、シルトホルン空中ケーブル会社のオーナーであるフォイツ家の管理になるもので、東京のスイスアルプス博物館を作るときに是非譲って欲しいと交渉したのですが、とても大切なものなので手放せないと断られたことを想い出します。
ミューレンをお通りのときは、ぜひ村のはずれの空中-ケーブル駅舎を左手奥まで入って、ご覧になってください。
http://office-romandie.info/sam.htmlもあわせてご覧いただければ幸いです。
12. スイスアルプスの登山史5―日本人のスイスびいきの原点?
前述のスイス山案内人の手帳のうち、グリンデルワルトの名ガイドだったサムエル・ブラヴァンドの手帳に、秩父宮殿下の次のような記述があります。
「アルプスの山、如何に僕の心を惹きつけたことだろう。然しその裏面に君等山に住む人々の暖かい情愛が無限の力を与えているのだ。アイガーの峯の白雪よ、永遠に清かれ。グリンデルワルトの人々よ常に変わらない心でいてくれ。僕は故郷に帰る思いで来るだろう」。(岡沢祐吉著『スイス山案内人の手帳』より)
山に登る人たちだけでなく、スイスがいつも日本人憧れの地の筆頭に挙げられる理由は、実にこのあたりにあると思わせる一節ではないでしょうか?

左端に秩父宮殿下、右端にサムエル・ブラヴァンド
「アルプスの山、如何に僕の心を惹きつけたことだろう。然しその裏面に君等山に住む人々の暖かい情愛が無限の力を与えているのだ。アイガーの峯の白雪よ、永遠に清かれ。グリンデルワルトの人々よ常に変わらない心でいてくれ。僕は故郷に帰る思いで来るだろう」。(岡沢祐吉著『スイス山案内人の手帳』より)
山に登る人たちだけでなく、スイスがいつも日本人憧れの地の筆頭に挙げられる理由は、実にこのあたりにあると思わせる一節ではないでしょうか?

左端に秩父宮殿下、右端にサムエル・ブラヴァンド
11. スイスアルプスの登山史4―スイス山案内人の手帳
スイスアルプス博物館の展示品の中で、特に異彩を放っていたのは、「スイス山案内人の手帳」コーナーだったでしょう。
スイスの山岳ガイドは、居住地の所轄官庁から交付される公式の手帳を携えていて、その中には登山客の謝辞や感想、またガイド自身による客の印象などが書き込まれていました。現在では廃れたこのシステムは、単なる記録以上に両者が深い友情と信頼で結ばれる例をいくつも残しています。
グリンデルワルトの郷土博物館には、日本人登山家が記入した実物が多く展示されていて、その中には昭和天皇の弟君である秩父宮殿下や、同行した槙有恒、松方三郎などの書き込みも見られます。詳しくは、岡沢祐吉著『スイス山案内人の手帳』(ベースボールマガジン社)をご覧ください。
スイスアルプス博物館では、グリンデルワルトから現物の写真を十数点送ってもらい、手帳の体裁に整えて展示していました。

スイスの山岳ガイドは、居住地の所轄官庁から交付される公式の手帳を携えていて、その中には登山客の謝辞や感想、またガイド自身による客の印象などが書き込まれていました。現在では廃れたこのシステムは、単なる記録以上に両者が深い友情と信頼で結ばれる例をいくつも残しています。
グリンデルワルトの郷土博物館には、日本人登山家が記入した実物が多く展示されていて、その中には昭和天皇の弟君である秩父宮殿下や、同行した槙有恒、松方三郎などの書き込みも見られます。詳しくは、岡沢祐吉著『スイス山案内人の手帳』(ベースボールマガジン社)をご覧ください。
スイスアルプス博物館では、グリンデルワルトから現物の写真を十数点送ってもらい、手帳の体裁に整えて展示していました。
