●カリジェとウルスリの鈴1

安野光雅先生の名前は知っていても、カリジェってだあれ?というご質問、ごもっともです。
アロイス・カリジェは、スイス人のイラストレーターであり絵本作家です。1902年生まれで1985年に亡くなりました。ちょうどその死亡記事をチューリヒからのスイス航空便の中で読んで、何やら日本と結びつきが生まれそうな予感がしたハイジおばさんでしたが、それが実現の一歩を踏み出したのは、1991年のことです。


Caligiet写真_convert_20110629223652 制作中のカリジェ

前号でご紹介したカリジェの村, トルンの記事が発端になってカリジェの日本紹介へ口火が切られたとずっと思っていましたが、もうそれより前にひそかに熾き火は燃え始めていたのでした。
その立役者がかの有名な安野光雅先生。なんと言ってもフットワークの軽い先生のこと、すでに自主取材を済ませてこのアサヒグラフに寄稿していらしたのです。
当時現地取材を終えて帰国記事を書いたばかりの川口記者への逆取材メモによると、
▲チューリヒの近郊にカリジェの作品を沢山持っている人がいる、
▲生まれ故郷に近いクールの町のホテルにも作品が飾られている、
▲故郷のトルンの村のスルシルヴァン美術館が、いよいよカリジェの作品を
 まとめて展示しはじめた、
▲トルンにはカリジェのアトリエの名前はフルッジナス、などなどの新情報。
これらが再び安野先生の興味に火をつけたらしく、NHKによる出版と展示会の開催を目指してスイスへと乗り込むことになりました。
1991年4月のことです。




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●アロイス・カリジェとウルスリの鈴 –予告編

ヘップバーンと2人の子供の写真を数日ブログに掲載していましたが、
版権が自分に無い写真を使うのはどうも落ち着きませんので、急いで次の話題へと作業を移すことにしました。
しかしオードリーの古い資料を掘り返しているうちに思わぬ副産物を発見!
安野光雅先生のお供をしてスイスの絵本画家アロイス・カリジェの足跡を,スイス各地にたずねた時の懐かしいファイルです。
ちょっとだけお時間を頂き、このファイルを整理して,順次、ご紹介していきたいと思います。すべては、安野先生が大のカリジェファンだったことに端を発します。


1990年2月9日号の『アサヒグラフ』。
多分、カリジェの名が週刊メディアに登場したのはこれがはじめて?


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● トロシュナ 5 + ヘップバーンの子供たち



オードリーの2人の子供たちの写真は無いの?というコメントを頂いたので、さっそく古いファイルを掘り返してみました。見つかったのは、朝日新聞の2000年4月24日の記事です。
お返事のコメントに写真を入れる方法が判らないので、このブログの画面で一部をスキャンしてご紹介します。版権の問題は生じないと思いますが・・・。
上の息子のショーンは、この記事が出た当時でもう40才でしたから、子供というよりビジネスマンの風情ですねえ。


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●トロシュナ4+オードリー・ヘップバーン

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トロシュナ村のブドウ畑

オードリーが住んでいたラ・ペジーブルの館は、レマン湖方面へ向かってゆるやかに下る広大な敷地で、中には果樹園まであります。彼女の没後も息子たちが時々戻ってきていて、明かりが灯っていたこともありました。数年前に売りに出されて、日本人が買うという噂もありましたが、結局英国人の手に落ちたと聞いています。 
付近には、親友だったユル・ブリンナー夫人の家もあり、2番目の夫であるドッティとの結婚式もこのトロシュナ村の小さな教会であげました。最初の夫であるメル・ファーラーとの息子であるショーンは、いまはアメリカに住んでいますが、やはりこの村の小学校に通いました。村の道はどこも、オードリーと子供たち、そして晩年はパートナーであったロバートと腕を組んでの散策の道でもあったようです。


AH0018_convert_20110621092047_20110621120535.jpgオードリーの葬式もこの小さな村のチャペルで。

AH0019_convert_20110621092115.jpg村のなかでも広い道

AH0020_convert_20110621092147.jpgトロシュナ村から20分ほどにある、ヴュフランの城

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●トロシュナ3+オードリーの墓

オードリーの名がついたバラ

オードリーの墓は、旧パヴィリヨンとラ・ペジーブル館の中間の小高い場所に位置する村の墓地の中にあります。ここからは隣村のリュリイまで広々と見渡せます。
1993年当時は、木の十字架でちょっと寂しそうでしたが、2000年に訪れたときは、写真のように立派な石造りになっていました。せいぜい50基位の墓しか置けない、とってもこじんまりした墓地なので、いっぱいになったらどうするのかなあ、と思ったときに気がついたのが墓地の入り口の右に立てられた告知板。西洋の墓は火葬しないで埋めるので場所をとりますから、大体25年に一度は掘り返して頭蓋骨だけ集め、別の納骨堂に納めることが多いと聞いたことがあります。この告知は町役場からの古い墓の廃墓通知のようです。
没後25年となる2017年ももう視野に入ってきましたが、オードリーの墓はきっと彼女がこよなく愛したこの場所に永遠に残ることでしょう。そうでなければ、世界のオードリーファンが承知しませんよね。

AH0014_convert_20110618112621.jpg 2000年当時の墓の様子

AH0015_convert_20110618112730.jpg 町役場の告知板

AH0013JPG_convert_20110618195522.jpg 墓地のある小高い一角




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●トロシュナ2 + オードリー・ヘップバーン

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かつて、このトロシュナには、「オードリー・ヘップバーン・パヴィリヨン」という展示館がありました。彼女が亡くなってすぐ、村役場が古い学校の校舎を使ってオープン、平屋の右ウイングには世紀の妖精のスクリーン上の活躍、左ウイングには、ユニセフの親善大使としての、素顔の彼女の活動が展示されていました。仲良しだったジバンシー制作のコスチュームがガラスのケースに立ち並び、沢山のポスターやオスカー像に飾られて、日本からも沢山のオードリーファンが訪ねていました。映画ファンには溜め息がでるようなスペースでしたね。一方の素顔の展示コーナーでは、生身の名女優の姿が垣間見られて、その意味ではユニークな展示館でしたが、数年前、息子のショーンが展示品を回収したとかで閉鎖されました。
パヴィリヨンの前庭には、オードリーのやや厳しい表情の胸像、花壇には「オードリー」の名がついたうすピンクのバラが咲き誇っていました。

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オードリー・ヘップバーンバヴィリヨン(2000年当時)

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バヴィリヨンの右側ウイングの内部

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オスカー像

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●トロシュナ1とオードリー・ヘップバーン

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1993年、レマン湖畔のトロシュナでオードリー・ヘップバーンが亡くなったというニュースが入ったとき、私たち観光局のスタッフ全員は、大慌てでスペルも定かでないトロシュナの場所を地図上に探したものです。それまでは観光地図などには出てこない小さな村でしたが、これで有名になりました。皮肉なものです。
トロシュナは、ローザンヌからジュネーブ方面へ急行で一駅のモルジュという駅からバスで10分ほどの所にあり、ぶどう畑の真ん中の,スーパーもなんにもない,静かな村です。


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この「ラ・ペジーブル(平和)」の館で、オードリーは30年間暮らしました。

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白い門柵からカメラを差し入れてとった北口玄関。

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北口玄関から道路を渡った向かい側の農家の牛舎。



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●ローザンヌ3 + シャトーデー




写真の巨大なタンクみたいなものは、前回ご紹介したベルトラン・ピカールが熱気球で世界一周無着陸飛行を成功させたブライトリング・オービター号のバスケット部分の第1号機です。巨大なバルーンの下にこれをぶら下げて(中にパイロットが2人)飛んだらしいです。
レマン湖からアルプスに分け入ったシャトーデーというとても田園的なリゾートの観光局の脇で撮りました。何故シャトーデーかというと、この村は風向きが熱気球に適していて、世界一周に成功した同形の3号機が、ここから離陸したからなのです。朝夕の観光用のバルーン乗りや、世界熱気球週間もここで毎年開かれています。
「80日間世界一周」の主演俳優だったデヴィッド・ニーヴンもこの村にずっと住んでいて、今は村はずれの墓地に眠っています。



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●ローザンヌ2

前回ソーラーボートが写真に出ましたが、最近太陽エネルギーだけで飛ぶ飛行機「ソーラー・インパルス」がスイスからベルギーまで500キロを飛んだという新聞記事をお読みになりましたか?
この飛行機を飛ばしたのは、ここローザンヌ出身の科学冒険家ベルトラン・ピカール、54才です。彼は1999年に、熱気球で無着陸世界一周飛行も成し遂げました。
ピカールと言うと、3代続いた科学者一家で,おじいさんはあの有名な深海艇「バチスカーフ」の生みの親です。レマン湖では今でも小さな潜水艇がお客を載せて潜るのですが、その船の名前をどうしても思い出せません。



ソーラーインパルス

(2011年5月14日東京新聞の記事を追加しました。"続き”をご覧ください)

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●ローザンヌ1

風向計3JPG_convert_20110601094524

さてさて、レマン湖の岸に沿って、視点はジュネーブの方角へ向かって,ローザンヌにやってきました。ここは湖岸のウーシー地区です。
この湖の中に立つ分度器みたいなモニュメントは直径20メートルの風向計。
レマン湖には13種類の風が吹くと言われ、そのうちの4つはこの風向計の向きによって風の名前が判ります。
そのうちでも北東の冷たい風「ビーズ」が吹くときは、地元の人たちの不機嫌な顔を見れだけで一目瞭然ですが・・・。
手前にあるボートは、天井部分が太陽パネルのソーラー船「アクアレル」号です。
時計が12時を指しているのは、次の出航時間です。
風向計の右手に見える薄い帯のようなものは写真の汚れかと思いましたが、
どう
やら撮影の季節から見て、渡り鳥の群列のようです。
レマン湖はヨーロッパでも有数の渡りの通過点だったなあと思い出しました。




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ハイジおばさん

Author:ハイジおばさん
スイスとのおつきあいは、スイス政府観光局から始まって、もうかれこれ40年。まだまだ奥深いスイスの魅力を追いかけています。hpもどうぞご覧下さい。
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