●カリジェとウルスリの鈴24



カリジェのシリーズの終わりに、忘れてはならない彼の壁絵を紹介したいと思います。場所はいままでとは全く方向が逆の、スイス北東部のシュタイン・アム・ラインという町です。
旧市街全体が17-8世紀の壁絵と出窓で飾られたこの町は、まるで中世にタイムスリップしたような佇まいで観光客の人気スポット。近くのライン川唯一の瀑布と併せて、チューリヒからも観光バスが乗りつけます。
この町の市庁舎に向かって左手にあるホテル・アドラーの正面の壁一面にカリジェの絵が見られます。「善と美を表すもの」という31枚の楽しい絵で構成されていて、1950年代に描かれたというものの、周囲の中世の壁画にすっかり溶けいって見事です。


IMGP2787_convert_20110927095707.jpg ラインの滝20001_convert_20110927094608
まだまだ初々しいライン河      数キロ下流のシャフハウゼン付近で瀑布となる。中央の小島に舟で行ける。

ライン河の宝石という町の名前が示すように、ここはドイツのライン川の滔々たる流れになる前の少年のラインです。

クールの壁画_convert_20110927092649

こうした大きな絵は,クールにある州議会本会議場の壁画にも見られます。
しかしこうした壁画を描く時に使ったシンナーが、のちにカリジェの健康を損なったといわれます。
カリジェは1985年8月1日スイスの建国記念日に83歳の生涯を閉じました。


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●カリジェとウルスリの鈴23

いつのまにか安野先生を置き去りにして、エンガディンの谷の奥深く分け入ってしまいました。迷子にならないうちに、カリジェに戻りましょう。
カリジェは1939年に、「百年の眠りを今も貪る」というオーバーザクセン地方のプラテンガに突如引退しましたが、その前は、創造的なデザイン業界の頂点にいて、ポスター作家としても大変有名でした。


ー_convert_20110921113144 カリジェがスイス政府観光局のために描いたポスター

とくに、わたしことハイジおばさんが数十年奉職したスイス政府観光局のチューリヒ本局のために、沢山の観光ポスターを描きました。
本局の旧社屋には、大きな壁画と、沢山のポスターが地下の倉庫に保存されていて、安野先生と一緒に見に行ったものです。本局が移転するとき、日本人にはカリジェのファンが多いと聞いた本局が、我々日本の支局にこれらのポスター活用の可能性を問い合わせてきましたが、カリジェの名が絵本でしか知られない日本では、ポスターではなにもできなかったことを残念に思い出します。


カリジェポスター2_convert_20110921112918本局の2階に飾られていた大きな絵。         旅の楽しさが沢山描き込まれていた。

チューリヒでは、この他に、ムラルテングートという市の迎賓館のようなところに、カリジェがコンペティションで優勝した壁画が残っています。

カリジェポスムラルテングートJPG_convert_20110921113005ムラルテングートの壁画

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●カリジェとウルスリの鈴22

イン川の上流の村々がほとんど水面すれすれの高さなのに反し、下エンガディン地方では、グアルダのように高いところからイン川を見下ろす形で、ツェルネッツ、ラヴィン、アルデッツ、セントといった名前の小さな村が点在しています。その果てはオーストリア国境近くで、シュクオルという比較的大きい温泉地の、パステルカラーの村に続きます。村々にはスグラフィッティ紋様の家が点在、村と村は広大な牧草地でつながり、絶好のハイキングコースになっています。

スグラフィ1+のコピー_convert_20110915211941 ウルスリ200002_c<br />onvert_20110915211138
アダムとイヴの絵が主体の、スグラフィッティ紋様の家。
右の小さなカリジェの挿絵と見比べるとわかりやすいが、左側の半円の入り口は、馬車が後ろ向きに入れる大きさがあって、干し草を馬車ごと運びいれる。右側の壁を塗りつぶしてベンチを置いた部分はもとやはり半円の入り口で、家畜用。地下に入って、上の荷馬車から落とされる干し草を食べていた。人間は一階の左右の部屋と2階以上に住み、1階の窓のある部屋には年寄りが住み、すぐ下の道にある噴水(水飲み場)に集まる村人たちと窓から話ができた。家の前には必ずベンチがあって通行人を眺めたり声をかけあったりするパリのカフェテラス的存在。入り口のドアは、上下に分かれていて、上は風を通したり、下は犬や猫が通れるように、そしてその上の半円の部分は鳩が通れるように開けられる。


ウルスリ21_convert_20110915211313




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●カリジェとウルスリの鈴21

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ルンギン峠の分水標識

エンガディンの谷の中央を流れるイン川は、オーストリアまで流れてドナウ川に合流します。その水源はこの谷のずっと上流、谷の再奥のマローヤ村の上方のルンギン峠に発します。標高2645mのこの峠は、アドリア海、北海、黒海の分水嶺にあたり、まさにヨーロッパの屋根のひとつです。


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1948年オリンピックのためにカリジェが依頼されたポスター

このあたりは上エンガディン地方と呼ばれて、一番奥のマローヤにはセガンチーニが住み, 途中のジルス・マリアにはニーチェが、そしてサンモリッツは、世界の王族が集う豪華なホテルが立ち並ぶスキーのメッカとして知られます。1928年と1948年の2回冬季オリンピックを開催し、カリジェもポスターを描いています。

サンモリッツ遠景+のコピー_convert_20110912160154
手前からサンモリッツ、シルヴァプラナ、ジルスマリア、マローヤ(右手奥で見えない)の村々



●カリジェとウルスリの鈴20

ウルスリ200001_convert_20110909200001       ウルスリ20_convert_20110909194031   
『ウルスリの鈴』の中に出てくる村がそっくりそのままグアルダ。         ウルスリと妹のフルリーナ                                                   (岩波書店、『アルプスのきょうだい』から)。              

さて、カリジェとウルスリの鈴といえば、グアルダ村のことを語らないわけにはいきません。何と言ってもここはウルスリの生まれ故郷ですから。
『ウルスリの鈴』の物語は、ゼリナ・ヘンツというグアルダ出身の女性作家が書き、絵だけカリジェが描きました。その他、カリジェはヘンツの筆になる、『フルリーナと山の鳥』と『大雪』の合計3冊に挿絵を描き、『ナシの木とシラカバとメギの木』『マウルスとマドライナ』『マウルスと三びきのヤギ』の3冊の絵本は自分で物語も絵も描きました。いずれも岩波書店から数十年まえに発売されていて、三、四年生向きと書かれています。

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丘の上のグアルダ村

グアルダはイン川(Inn)の広い河川敷であるエンガディンの谷の左岸の丘の上にポツン、ポツンと点在する村のひとつです。レーティッシュ鉄道にもグアルダ駅があるのですが、そこからは小さな郵便バスが丘の上の村と接続しています。大勢の観光客は大型バスを連ねて丘の上へとやってきます。
グアルダも英語のガ-ドと同じ、見張り番の意味を持っていて、見下ろすイン川の通行を見張っていたそうです







●カリジェとウルスリの鈴19

話がちょっと逸れますが、カリジェの名前の読み方について・・・。
彼の墓碑銘には、Aluis Carigietと書いてありました。
現地の発音を聞いていると、アルイス・カリジェットと聞こえました。
これは、この地方で話されている、スイスの第4の国語である、ロマンシュ語によるものです。
カリジェ自身はもともとロマンシュ語を母語とする人であったことが判ります。これが、アロイス・カリジェとなるのは、彼の活躍の場であったスイスドイツ語圏での使用頻度によるものでしょう。


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『緑色の羊』という題名のカリジェの絵

ところで、岩波書店から出ている6冊の絵本は、アロワ・カリジェとなっています。これは最初の翻訳がフランス語版からなされたことを物語ります。
アロイスはフランス語読みになると、アロワになるからです。


スイスでは4つの言葉が国語として使われています。ドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語の順で頻度が高く、ロマンシュ語は本当に化石のような言葉です。シーザーがタイムトンネルで現代に戻ったら、唯一ロマンシュ語なら通じるといわれるほどです。
当然のことですが、ロマンシュ語圏には、スイスの他の地では見られない、独特の文化や人情が広がっていて、カリジェが愛してやまなかったのも、この独特の雰囲気そのものだったのでしょう。

●カリジェとウルスリの鈴18

カリジェが長く住んだプラテンガは、スイスでも外部から人が訪れることのすくないオーバーザクセン地方の、そのまた小さな村ですが、ここは周囲がロマンシュ語圏であるのに、ここだけはドイツ語(スイスドイツ語)を話すそうです。
その訳は、昔貧しかったスイスでは、村の10家族に1家族は、食い扶持を減らすために村を出て行かねばならず、こうした流浪の民が、スイス西部からスイス中を巡って東部にまで移動しました。彼らはワルサーと呼ばれて、家の作り方など独特の文化を引きずって歩きましたが、よそ者の彼らに与えられた土地は日の当たらない北斜面、でもそれがのちにスキー場として開発され、彼らは一転して裕福になったと聞いたことがあります。


プラテンガ18_convert_20110901211641絵本とは違う荒々しいタッチのカリジェの絵

ワルサー達が定着したオーバーザクセン地方には、10キロくらい分け入ると行き止まりになる谷がいくつかあり、そのうちの一つに日本でもミネラルウオーターが発売されているヴァルスがあります。
カリジェはこうした谷や野に写生に出かけるときはいつも馬に乗っていきました。彼の絵の中に馬のお尻を描いたものが多くて閉口したことを思い出します。
隣人のアリックさんによると、カリジェは生の肉を窓にぶら下げて、それを食べにくる野生の動物たちを夢中になって写生していたそうです。




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スイスとのおつきあいは、スイス政府観光局から始まって、もうかれこれ40年。まだまだ奥深いスイスの魅力を追いかけています。hpもどうぞご覧下さい。
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