● ジュラの秋 10
■ スイス、ジュラ地方の秋色 〜 ジュラ州の独立
スイスのジュラ地方で、忘れてはならない話題を忘れていたので、もう一度!
これもスイスらしい(日本では想像しにくい)話題ですが、スイスの26の州のひとつとして、ジュラ州が1979年に独立したことです。

ジュラ州の州都になったドゥレモンの町。
スイスは独、仏、伊、ロマンシュ語の4つを国語としていますが、そのうちのドイツ語圏のベルン州にあったジュラ地方は、地理的にもフランスと兄弟分、話す言葉もフランス語でした。そこがいまから30年ちょっと前に、国民投票で承認されて、ベルン州から分離独立、新しくジュラ州を作ったのです。無血の革命でした。
日本でもどこかの県がなにかを主張して分離独立する、なんてことがあったらと愉快ですね。でも国民投票の制度がないと、無理かな・・・。
スイスのジュラ地方で、忘れてはならない話題を忘れていたので、もう一度!
これもスイスらしい(日本では想像しにくい)話題ですが、スイスの26の州のひとつとして、ジュラ州が1979年に独立したことです。

ジュラ州の州都になったドゥレモンの町。
スイスは独、仏、伊、ロマンシュ語の4つを国語としていますが、そのうちのドイツ語圏のベルン州にあったジュラ地方は、地理的にもフランスと兄弟分、話す言葉もフランス語でした。そこがいまから30年ちょっと前に、国民投票で承認されて、ベルン州から分離独立、新しくジュラ州を作ったのです。無血の革命でした。
日本でもどこかの県がなにかを主張して分離独立する、なんてことがあったらと愉快ですね。でも国民投票の制度がないと、無理かな・・・。
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● ジュラの秋 9
■ スイス、ジュラ地方の秋色 〜
国境にまたがるホテル・フランコ・スイス
ジュラ地方のおしまいの話題は、国境にまたがって建つホテル・・・。
正確に言えば、フランスへ出入りする国境とスイスのへの国境線の間、無人地帯に建てられたホテルというのでしょうか・・・。
東の入り口はレストランになっていてスイス領、西の入り口はホテルのフロントでフランス領。当然ホテルの中を目に見えない国境線が貫通しているわけです。
こちらはスイス側の入り口。 反対側のフランス側の入り口。HOTELのTの字の縦線が国境線に当たるそうです。
階段も途中で2国に分かれ、テーブルも一人がスイス領に座れば、もう一人はフランス領。ベッドも頭と足で国が違うという部屋が2つもあります。

こちらは中央に見えない国境線が走るテーブル 1863年にナポレオン三世が置いた国境の礎石。
今頃はこの小さい坊やがオーナーかも?
くわしいことに興味がおありの方は、「スイスとっておきの旅便り」(JTB出版)のP109や、旅名人ブックス『ジュネーブとレマン湖地方』(日経BP)のP166など、ご覧下さい。
国境にまたがるホテル・フランコ・スイス
ジュラ地方のおしまいの話題は、国境にまたがって建つホテル・・・。
正確に言えば、フランスへ出入りする国境とスイスのへの国境線の間、無人地帯に建てられたホテルというのでしょうか・・・。
東の入り口はレストランになっていてスイス領、西の入り口はホテルのフロントでフランス領。当然ホテルの中を目に見えない国境線が貫通しているわけです。


こちらはスイス側の入り口。 反対側のフランス側の入り口。HOTELのTの字の縦線が国境線に当たるそうです。
階段も途中で2国に分かれ、テーブルも一人がスイス領に座れば、もう一人はフランス領。ベッドも頭と足で国が違うという部屋が2つもあります。


こちらは中央に見えない国境線が走るテーブル 1863年にナポレオン三世が置いた国境の礎石。
今頃はこの小さい坊やがオーナーかも?
くわしいことに興味がおありの方は、「スイスとっておきの旅便り」(JTB出版)のP109や、旅名人ブックス『ジュネーブとレマン湖地方』(日経BP)のP166など、ご覧下さい。
● ジュラの秋 8
■ スイス,ジュラ地方の秋色 〜 今でも現役、自動仕掛け人形。
この絵はがきの3体の仕掛け人形は、1721年生まれのピエール・ジャケ=ドローの作品です。いまでもジュラ州に近い大学都市ヌーシャテル市の美術館で、ピアノを弾き、字を書き、絵を描いています。大きさは実際の子供くらいあります。

クラヴサンを弾く女性は、5曲のレパートリーを、ちゃんと鍵盤をおさえて演奏するのはもちろん、呼吸に合わせて胸が膨らんだり戻ったりします。画家(左手の羽ペンをもった坊や)は、ルイ16世やマリーアントワネットの絵をすらすらと、右の書記は「我思う故に我あり」と3世紀近くも書き続けています。下の2枚は、実際に目の前で書いてくれたものです。でもこの愛らしいアンドロイドたちの背中をあけると、仕掛けを動かすためのディスクが背骨にそってぎっしりとつまっていて、ちょっとゾッとしますが。
このジャケ=ドローを生んだヌーシャテル州の北部の都市、ラショードフォンは、2009年に「時計製造業の都市計画」で世界文化遺産に登録されました。ここは建築家ル・コルビュジエの生まれ故郷でもあります。
この絵はがきの3体の仕掛け人形は、1721年生まれのピエール・ジャケ=ドローの作品です。いまでもジュラ州に近い大学都市ヌーシャテル市の美術館で、ピアノを弾き、字を書き、絵を描いています。大きさは実際の子供くらいあります。

クラヴサンを弾く女性は、5曲のレパートリーを、ちゃんと鍵盤をおさえて演奏するのはもちろん、呼吸に合わせて胸が膨らんだり戻ったりします。画家(左手の羽ペンをもった坊や)は、ルイ16世やマリーアントワネットの絵をすらすらと、右の書記は「我思う故に我あり」と3世紀近くも書き続けています。下の2枚は、実際に目の前で書いてくれたものです。でもこの愛らしいアンドロイドたちの背中をあけると、仕掛けを動かすためのディスクが背骨にそってぎっしりとつまっていて、ちょっとゾッとしますが。


このジャケ=ドローを生んだヌーシャテル州の北部の都市、ラショードフォンは、2009年に「時計製造業の都市計画」で世界文化遺産に登録されました。ここは建築家ル・コルビュジエの生まれ故郷でもあります。
● ジュラの秋 7
● ジュラの秋 6
■ スイス、ジュラ地方の秋色〜〜〜仕掛けの殿堂CIMA博物館
ジュラ山中のもう一つの隠れ博物館は、サントクロワ村にあるCIMA(Centre International de la Mécanique d'Art)です。オルゴール博物館というより、仕掛け装置(オートマート)の博物館です。

シリンダー式やディスク式のオルゴール装置の精髄を展示する他、自動仕掛け装置から発達した蓄音機やタイプライター,フィルムプロジェクター、ミシンなどの発達の歴史もさぐることができます。

字を書くピエロや、つまみ食いをすると食器戸棚のうしろから、こわ〜いおばあさんの顔が覗く装置など、愉快な仕掛け人形が数々展示されている他、実演工房もあります。
近くには、世界のオルゴールメーカーとして有名なリュージュ社があります。
ジュラ山中のもう一つの隠れ博物館は、サントクロワ村にあるCIMA(Centre International de la Mécanique d'Art)です。オルゴール博物館というより、仕掛け装置(オートマート)の博物館です。

シリンダー式やディスク式のオルゴール装置の精髄を展示する他、自動仕掛け装置から発達した蓄音機やタイプライター,フィルムプロジェクター、ミシンなどの発達の歴史もさぐることができます。

字を書くピエロや、つまみ食いをすると食器戸棚のうしろから、こわ〜いおばあさんの顔が覗く装置など、愉快な仕掛け人形が数々展示されている他、実演工房もあります。
近くには、世界のオルゴールメーカーとして有名なリュージュ社があります。