● ユジャ・ワンと『ピアニスト』1

■ 拙訳『ピアニスト』の主人公メイ・ジンのモデルになったユジャ・ワンに会ってきました(2013年4月21日)

コンサートでのユジャ・ワンは、前半は黒の、後半は真っ赤な、身体にぴったりしたまるでスイムスーツのような衣装に、10センチ以上もありそうなハイヒールで登場、そしてなによりその超絶技巧で会場を圧倒しました。聴衆のスタンディング・オヴェーションに対し、なんと6回(7回だったかな?)のアンコール演奏。まさにアスリート並みの体力とプロポーション、そして有名なクリケット奏法と呼ばれる演奏!まさにピアノ界の金メダリストと呼べそうです。

次の演奏会は、6月27日、サントリーホールで、シャルル・デュトワ指揮、ロイヤルフィルハーモニーとの共演で開かれます。詳細は http://www.kajimotomusic.com/jp/concert/k=337をご覧ください。>

下記は、4月21日の公演プログラムです。本人の写真をお見せしたいのですが、肖像権の問題あり???
残念ながら目下保留です。

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招聘元のカジモトのご好意で、ハイジおばさんも、サイン入りの『ピアニスト』を楽屋に届けることが出来ました。本人は、長〜いまつげをつけた、魅力的な若いお嬢さんでした。まさにアイドルと呼ぶにぴったり。より進化したクラシックファンの形成をふと予感しました
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●とりいそぎお知らせ!

■ 拙訳『ピアニスト』が日本経済新聞に取り上げられました。

先般この欄で紹介させて頂いた拙訳の『ピアニスト』に対し、日本経済新聞の4月17日夕刊で「これを読まなくては損をする」という5つ星の評価が与えられました。とっても嬉しい驚き!、とりいそぎ紹介をさせていただきます。


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モデルになったユジャ・ワンは,カジモト音楽事務所の招聘で、目下来日して演奏活動展開中、一段と進化した演奏ぶりが、日本の音楽ファンも二分しそうな勢いのようです。

どうぞご注目ください!




● スイスの文化歴史街道ViaStoria - 18

■ トマスクックの道ViaStoria -いよいよユングフラウ地方へ


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                                               現代の蒸気船の向かう先に,アイガー北壁が見えている。


シュピーツからは、鉄道より先に開発されていたトゥーン湖の蒸気船でインターラーケンへ。そのあと、トマスクック一行が歩いたと思われる道は下記の図の青線の通り。赤線の鉄道は、1863年当時には影も形もなく、一行の旅は徒歩が主でした。現代のハイキングコースにほぼ重複するものの、距離はずっと厳しい!それにしても到着日にラウターブルンネンまで登って滝を見て、また翌々日に同じ経路をたどってぐるりと山越えするとは???

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建物は今と異なるとして、自然の情景は150年前のトマスクック一行が見たのと同じハズ。インターラーケンでも日曜礼拝を欠かさない、信心深いグループだったようだ。町の北側のウンターゼーエンの方が、当時は開けていたらしいが、現代では駅の南側の大通りにホテルや土産店、カジノなどが集中している。

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インターラーケンの町並みの向こうに、アイガー、メンヒ、ユングフラウの三山。  ラウターブルンネンの「シュタウプバッハ」(埃の滝の意味)は、
                                        いまも同じ300mの落差を流れ落ちる。


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● スイスの文化歴史街道ViaStoria - 17

■トマスクックの道ViaCook -インターラーケンへ

カンデルシュテーグで谷に下りて、また馬車と徒歩、そして蒸気船まで利用してインターラーケンへ。このあたりで現代の鉄道と交錯してきます。

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                                              トンネル開通で一新したヴィスプ駅正面


このスイス西部の南北を貫く幹線ルートは、現在2つの新旧トンネルを使った鉄道路によって結ばれています。
そのハイライトは、なんと言っても、2007年に貫通したレッチュベルグ基底トンネル。スイス東部のゴッタルトトンネルと並んで、スイスのアルプトランジット計画の一環として、北のフルティゲンから南のラロンまで,長さ34.6キロのトンネルが掘られたのです。出口先のヴィスプ駅でジュネーブ方面から来た、いわゆるシンプロン線に合流します。この新トンネルの400メートル上には、旧レッチュベルグトンネルが走っていて、シュピーツからフルティゲン、カンデルシュテーグ、ブリークを旧路線で結び、シンプロントンネルへつながります。ヴィスプへ出た新トンネル線も、ブリークへ合流していきます。ツェルマット〜ヴィスプ〜ブリーク〜サンモリッツの路線を走る有名な氷河特急も、並行してヴィスプ〜ブリーク間を走ります。

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スイスの鉄道に共通の発車掲示板。時計は有名なスイス国鉄時計        新装なったヴィスプ駅に停車中の氷河特急

この新トンネル開通は、スイス経由ドイツからイタリアまで、車を列車に乗せて運ぶカーフェリー・システムの充実につながり、通り抜けされるスイスにとってはなんのメリットがあるのか、喧々がくがくです。昔から、「スイスのトンネルは、スイス人が払い、イタリア人が労働し、ドイツ人が利用する」といわれるゆえんです。
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● スイスの文化歴史街道ViaStoria - 16

■ トマスクックの道ViaCook -シャーロック・ホームズも

さて、このルートは、トマスクックの一行だけが利用したのではなかったのです。架空の話ではありますが、シャーロック・ホームズもこのダウベン湖のほとりを旅しています。
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ゲンミ峠の頂上に着いたホームズツアーの一行。西洋式の駕篭も活躍?

1891年の5月、宿敵モリアティ教授に追われたホームズが、その手を逃れて向かった先は,スイスでした。彼が辿った道は、トマスクックの一行と同じ、ロイカーバード経由、ゲンミ峠を越えてインターラーケンへ向かうものでした。つまりこのルートは、のちにブリークとシュピーツを結ぶレッチュベルグ鉄道が開通するまで、スイスの南西部と中央部を結ぶメインルートだったのです。


写真は、こうしたホームズの旅を再現した、ロンドンのシャーロック・ホームズ協会主催のスイスツアーのひとこまです。同協会では数年に一度こうしたツアーを編成し、日本から「日本シャーロック・ホームズ・クラブ」の会長夫妻が参加したこともあります。写真のコスチュームは、当時のイギリスの人々の生活を表わすもので、1863年のトマスクックの旅もきっとこんなものではなかったでしょうか?

ホームズ0002_convert_20130331171014 ホームズ0006_convert_20130331180007  ツアー参加者は、こんなヴィクトリア朝時代の服装で。           ゲンミ峠を背にダウベン湖畔を歩くツアーメンバー。

このダウベン湖のほとりで、ホームズ一行は恐ろしい目に遇います。「右手のがけのうえから、大きな岩がガラガラッと落ちてきて、湖水のなかに落ちていった」と書かれています。ここでもかろうじてモリアティ教授の魔の手を逃れたホームズは、マイリンゲンのライヒェンバッハの滝で運命の対決をすることになるのです。

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こんな車に交代で乗ったらしい。車上のホームズと傍らにワトソン教授。いかにも岩がガラガラ落ちてきそうな道です。





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スイスとのおつきあいは、スイス政府観光局から始まって、もうかれこれ40年。まだまだ奥深いスイスの魅力を追いかけています。hpもどうぞご覧下さい。
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