[302]ジュラノート36
■ ”ジュラ山中に自由あり−3”ーアナキストと時計職人
石川啄木の詩に、「かのジュラの山地のバクウニンが友を忍ばしめたり」という一行があるという。ロシアの革命家バクーニンは、たしかに友人の手引きでその故郷のル・ロックルやラショードフォンに滞在した。M.アンケルの『ジュラ同盟』はスイスにおけるアナキズムの起源を扱っているそうだが、それによるとアナキズムが浸透した地域は、とくに時計産業の盛んなとことだったという。言い伝えによると、牧畜地帯だったジュラ地方に時計産業が発達したのは、17世紀に馬商人がこの地で故障した時計の修理を鍛冶屋に依頼したところ、この鍛冶屋がそのメカニズムをすっかり記憶し、その後独力で時計を造り、それを産業にまで発達させたという。また別の説では、16世紀にフランスから逃げ込んで来たユグノー教徒が持ち込んだ技術だという歴史も伝えられる。
このドゥー川の向こうはもうフランス領。日本だったらほんの県境?
いずれにしても、ジュラとフランスは川一本はさんで背中合わせ、日本ではとても想像しにくい不思議さだ、と小川記者も書いています。
ドゥーの滝へ往復する物静かなスイスのボートと、 客を満載したフランスの遊覧船。
石川啄木の詩に、「かのジュラの山地のバクウニンが友を忍ばしめたり」という一行があるという。ロシアの革命家バクーニンは、たしかに友人の手引きでその故郷のル・ロックルやラショードフォンに滞在した。M.アンケルの『ジュラ同盟』はスイスにおけるアナキズムの起源を扱っているそうだが、それによるとアナキズムが浸透した地域は、とくに時計産業の盛んなとことだったという。言い伝えによると、牧畜地帯だったジュラ地方に時計産業が発達したのは、17世紀に馬商人がこの地で故障した時計の修理を鍛冶屋に依頼したところ、この鍛冶屋がそのメカニズムをすっかり記憶し、その後独力で時計を造り、それを産業にまで発達させたという。また別の説では、16世紀にフランスから逃げ込んで来たユグノー教徒が持ち込んだ技術だという歴史も伝えられる。

いずれにしても、ジュラとフランスは川一本はさんで背中合わせ、日本ではとても想像しにくい不思議さだ、と小川記者も書いています。


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[301]ジュラノート35
■”ジュラ山中に自由あり”ー2
「知られざるスイスの素顔」、とサブタイトルされたアサヒジャーナルの記事は、「色濃く流れる反逆精神」を大きな見出しにしています。ゲルマン化への抵抗!とも。川向こうはもうフランス領、16世紀の宗教改革で、多くのユグノー教徒が流れ込んだこの地方、巷の言葉はもちろんフランス語。気質も、質実剛健な部分が突出したフランス人のものです。しかしバーゼルの大司教の傘下にあったこの地方は、1815年のウイーン会議以来、カトリックでドイツ語を話すベルン州に編入されていました。

左の旗が新ジュラ州のもの(あなたはあなた、我々は我われ)、右がベルン州の州旗。(そうだけど、あなたたちは私たち)と書かれている。「Jura, les sept clichés capitaux」より。
こうした長年の言語上,宗教上の軋轢から,国民投票がもたらした結果は、ジュラ州の独立。1979年,この小川記者の記事から5年後に,スイスの第23番目の州として、ドイツ語を公用語とするベルン州から独立を果たしたのでした。一つの国の中での分離独立活動としては珍しいといわれる、無血革命でした。
「知られざるスイスの素顔」、とサブタイトルされたアサヒジャーナルの記事は、「色濃く流れる反逆精神」を大きな見出しにしています。ゲルマン化への抵抗!とも。川向こうはもうフランス領、16世紀の宗教改革で、多くのユグノー教徒が流れ込んだこの地方、巷の言葉はもちろんフランス語。気質も、質実剛健な部分が突出したフランス人のものです。しかしバーゼルの大司教の傘下にあったこの地方は、1815年のウイーン会議以来、カトリックでドイツ語を話すベルン州に編入されていました。

左の旗が新ジュラ州のもの(あなたはあなた、我々は我われ)、右がベルン州の州旗。(そうだけど、あなたたちは私たち)と書かれている。「Jura, les sept clichés capitaux」より。
こうした長年の言語上,宗教上の軋轢から,国民投票がもたらした結果は、ジュラ州の独立。1979年,この小川記者の記事から5年後に,スイスの第23番目の州として、ドイツ語を公用語とするベルン州から独立を果たしたのでした。一つの国の中での分離独立活動としては珍しいといわれる、無血革命でした。
[300]ジュラノート34
■"ジュラ山中に自由あり"−1
今回のタイトルは、朝日新聞記者だった大学時代の級友、故小川特明氏が、1974年に朝日ジャーナルに掲載した記事の題名です。彼は、ジュラの人が持つ反骨精神、国境の不思議さ、ジュラに滞在したアナキストのバクーニンのことなど、もう40年も前に実に生き生きと描き出しています。この有能な記者がスイスで見たテーマのいくつかを紹介させて頂きます。

反骨の哲学者、ジャン・ジャック・ルソーも、ジュラ地方に難を逃れたひとりでした。どぶろく谷のVal deTraversの端にあるモチエ(Môtiers)の村には、ルソーの博物館があります。ルソーは、よくフランス人だと紹介されますが、スイス連邦に加盟する以前のジュネーブ共和国の出身ですから、現体制からいえばやっぱりスイス人と呼ぶべきではないかな? いまでもジュネーブの旧市街には生家が残り、見学も可能です。
今回のタイトルは、朝日新聞記者だった大学時代の級友、故小川特明氏が、1974年に朝日ジャーナルに掲載した記事の題名です。彼は、ジュラの人が持つ反骨精神、国境の不思議さ、ジュラに滞在したアナキストのバクーニンのことなど、もう40年も前に実に生き生きと描き出しています。この有能な記者がスイスで見たテーマのいくつかを紹介させて頂きます。


反骨の哲学者、ジャン・ジャック・ルソーも、ジュラ地方に難を逃れたひとりでした。どぶろく谷のVal deTraversの端にあるモチエ(Môtiers)の村には、ルソーの博物館があります。ルソーは、よくフランス人だと紹介されますが、スイス連邦に加盟する以前のジュネーブ共和国の出身ですから、現体制からいえばやっぱりスイス人と呼ぶべきではないかな? いまでもジュネーブの旧市街には生家が残り、見学も可能です。
[299]ジュラノート33
■谷は谷でも、どぶろく谷?!? ジュラ地方のトラヴェールの谷
詩人のヴェルレーヌや画家のロートレックなどを中毒にした,ニガヨモギを原料とする強いお酒のアプサン。フランス語ではアプサントと呼びますが、長く禁制だったこの安価な蒸留酒の原産地は、スイス、ジュラ地方のトラヴェールの谷(Val de la Travers)です。

いまでは禁制も解けて、オシャレな蒸留所が軒を並べます。試飲も出来ますし、小さな瓶から大きなものまで、オシャレな試飲器具が並びます。
チョコレートにも入っていて、おみやげにも便利。水を注ぐと白濁する強い食前酒、フランス南部で良く飲まれるペルノーも、ここトラヴェールの谷のアブサンから発展したものだそうです。
詩人のヴェルレーヌや画家のロートレックなどを中毒にした,ニガヨモギを原料とする強いお酒のアプサン。フランス語ではアプサントと呼びますが、長く禁制だったこの安価な蒸留酒の原産地は、スイス、ジュラ地方のトラヴェールの谷(Val de la Travers)です。


いまでは禁制も解けて、オシャレな蒸留所が軒を並べます。試飲も出来ますし、小さな瓶から大きなものまで、オシャレな試飲器具が並びます。
