[306]ジュラノート40
■石を投げれば時計職人に当たる?ジューの谷
平たいキノコの傘を横から見たような形のジュラ山脈、その上部はずっとフランス領に覆われ、とくに西の端は、すっぽりフランスに取り囲まれます。湖の向こうの森を越えればもうフランス領、そんな長細いジューの谷は、正真正銘、時計産業、とくにムーブメント(部品)産業の中心地です。
フランスとの国境線も寛容な構造のこの谷も、もとはと言えばフランスから流入したユグノー教徒の定着地のひとつ、苗字もピゲ、ロシャなどと、6千人の人口の多数が4−5種類の苗字で占められるという,典型的な閉鎖社会です。
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ジューの谷の中心はル・サンチエ村。ここにはプランパン、ブレゲ、オーディマ・ピゲなどの著名な時計会社が共同出資で作った「エスパース・オルロジェ(時計センター)」があり、とくに時計部品の発達を詳しく展示しています。空気の澄んだ、清らかなジューの谷は、ほんとうに精密産業にはぴったりなのです。
平たいキノコの傘を横から見たような形のジュラ山脈、その上部はずっとフランス領に覆われ、とくに西の端は、すっぽりフランスに取り囲まれます。湖の向こうの森を越えればもうフランス領、そんな長細いジューの谷は、正真正銘、時計産業、とくにムーブメント(部品)産業の中心地です。
フランスとの国境線も寛容な構造のこの谷も、もとはと言えばフランスから流入したユグノー教徒の定着地のひとつ、苗字もピゲ、ロシャなどと、6千人の人口の多数が4−5種類の苗字で占められるという,典型的な閉鎖社会です。
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ジューの谷の中心はル・サンチエ村。ここにはプランパン、ブレゲ、オーディマ・ピゲなどの著名な時計会社が共同出資で作った「エスパース・オルロジェ(時計センター)」があり、とくに時計部品の発達を詳しく展示しています。空気の澄んだ、清らかなジューの谷は、ほんとうに精密産業にはぴったりなのです。
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[305]ジュラノート39
■日本・スイス国交樹立の立役者はヌーシャテル出身者だった!
今年から数えてちょうど150年前、江戸末期に締結された日本とスイスの最初の通商条約のスイス側の代表者は、あの3体の仕掛け人形があるヌーシャテルの出身のエメ・アンベールです。そこで記念の展示会が、「日本を想う〜IMAGINE JAPAN」として、ヌーシャテル民族学博物館で、約一年に亘って開かれています。スイス時計産業の代表者でもあったアンベールは同時にすぐれた著述家でもあり、150年前の日本を約10か月に亘って取材した模様も展示されています。

新聞でも報道された通り、この修好条約締結を記念して、皇太子殿下がこの夏スイスを訪問され、ヌーシャテルのこの展示会もご覧になりました。アンベールの曾孫と握手する写真などが、http://www.men.ch/de/expositions/la-black-box/imagine-japan/で紹介されています。あの町のあの3体の仕掛け人形も、きっと殿下のお目に止まったことでしょう。
今年から数えてちょうど150年前、江戸末期に締結された日本とスイスの最初の通商条約のスイス側の代表者は、あの3体の仕掛け人形があるヌーシャテルの出身のエメ・アンベールです。そこで記念の展示会が、「日本を想う〜IMAGINE JAPAN」として、ヌーシャテル民族学博物館で、約一年に亘って開かれています。スイス時計産業の代表者でもあったアンベールは同時にすぐれた著述家でもあり、150年前の日本を約10か月に亘って取材した模様も展示されています。


新聞でも報道された通り、この修好条約締結を記念して、皇太子殿下がこの夏スイスを訪問され、ヌーシャテルのこの展示会もご覧になりました。アンベールの曾孫と握手する写真などが、http://www.men.ch/de/expositions/la-black-box/imagine-japan/で紹介されています。あの町のあの3体の仕掛け人形も、きっと殿下のお目に止まったことでしょう。
[304]ジュラノート38
■仕掛け装置のいろいろ
折角ここまで来たのですから、ジュラ地方の職人芸が生んだ、仕掛け装置のいくつかをご紹介しましょう。
まずヌーシャテル美術歴史博物館にある、1773年製の、ジャケドロ−作の3体の仕掛け人形。左から、書記、中央にピアニスト、右が画家。それぞれに下のような字や絵を書きます。背丈は、それぞれ実物大の子供くらいです。

左の羽ペンを持った書記が書いた文章(ジャケ・ドロー作の仕掛け人形、と書いている) 右の画家が描いたルイ15世。
次はサントクロワにある、CIMA博物館所蔵のモダンな仕掛け装置。

上左は手紙を書くピエロの傍らでランプが点いたり消えたりします。上中央は、つまみ食いをする少年の後ろで、突如食器棚が開いて、恐〜いおばあちゃんが顔をだします(これと同じものが、小樽のオルゴール館にあるようですね)。上右は「天使」と呼ばれる遠隔操作の仕掛け装置。CIMA博物館は仕掛け装置が蓄音機や自動ピアノに発展した歴史も展示します。下右は ベンチで居眠りする少年の傍らの街灯が明るくなったり暗くなったりします。下右おなじみ宙返り人形。いろいろなヴァージョンがあるようです。

前回ご紹介したオーベルソンのボー博物館は、近在の国々から古い仕掛け装置を集めた趣味性の高いコレクションです。これらは人形ではありません。全部ゼンマイで動き,目や口を動かして音楽を奏でます。右は有名なシャンソン歌手のティノ・ロッシ。音楽につれて唇も動きます。他にも個性豊かな仕掛け装置が2部屋にぎっしり並べられて、解説つきで動かしてくれます。

折角ここまで来たのですから、ジュラ地方の職人芸が生んだ、仕掛け装置のいくつかをご紹介しましょう。
まずヌーシャテル美術歴史博物館にある、1773年製の、ジャケドロ−作の3体の仕掛け人形。左から、書記、中央にピアニスト、右が画家。それぞれに下のような字や絵を書きます。背丈は、それぞれ実物大の子供くらいです。



左の羽ペンを持った書記が書いた文章(ジャケ・ドロー作の仕掛け人形、と書いている) 右の画家が描いたルイ15世。
次はサントクロワにある、CIMA博物館所蔵のモダンな仕掛け装置。

上左は手紙を書くピエロの傍らでランプが点いたり消えたりします。上中央は、つまみ食いをする少年の後ろで、突如食器棚が開いて、恐〜いおばあちゃんが顔をだします(これと同じものが、小樽のオルゴール館にあるようですね)。上右は「天使」と呼ばれる遠隔操作の仕掛け装置。CIMA博物館は仕掛け装置が蓄音機や自動ピアノに発展した歴史も展示します。下右は ベンチで居眠りする少年の傍らの街灯が明るくなったり暗くなったりします。下右おなじみ宙返り人形。いろいろなヴァージョンがあるようです。

前回ご紹介したオーベルソンのボー博物館は、近在の国々から古い仕掛け装置を集めた趣味性の高いコレクションです。これらは人形ではありません。全部ゼンマイで動き,目や口を動かして音楽を奏でます。右は有名なシャンソン歌手のティノ・ロッシ。音楽につれて唇も動きます。他にも個性豊かな仕掛け装置が2部屋にぎっしり並べられて、解説つきで動かしてくれます。

[303]ジュラノート37
■ジュラ山中に自由あり(fin)−オルゴール
旧友の記者がジュラの旅の最後に案内されたのは、自動人形とオルゴールの博物館だったという。それは多分、オーベルソンにある、「ボー博物館」だっただろう。時計とオルゴールは表裏一体の産業で、とくにレマン湖の北にあたるジュラ地方のサントクロワには、仕掛け装置の博物館が、そしてさらにフランス国境に近いオーベルソンに、このボー3兄弟が近隣からかき集めて建設したオルゴール博物館がある。
技術的発達は、18世紀がゼンマイ、19世紀が蒸気機関、20世紀がコンピューターといわれるが、その過程で我々はなにか貴重なものを失っているのではないか?18世紀のオルゴールに耳を傾けながら、それが何であるか考えつづけた、という一文で、小川記者の記事は終わっている。

スタール夫人の愛蔵品だったラッパ吹きの仕掛け人形
旧友の記者がジュラの旅の最後に案内されたのは、自動人形とオルゴールの博物館だったという。それは多分、オーベルソンにある、「ボー博物館」だっただろう。時計とオルゴールは表裏一体の産業で、とくにレマン湖の北にあたるジュラ地方のサントクロワには、仕掛け装置の博物館が、そしてさらにフランス国境に近いオーベルソンに、このボー3兄弟が近隣からかき集めて建設したオルゴール博物館がある。
技術的発達は、18世紀がゼンマイ、19世紀が蒸気機関、20世紀がコンピューターといわれるが、その過程で我々はなにか貴重なものを失っているのではないか?18世紀のオルゴールに耳を傾けながら、それが何であるか考えつづけた、という一文で、小川記者の記事は終わっている。

スタール夫人の愛蔵品だったラッパ吹きの仕掛け人形