[316]ジュラノート50

■ジュラノートも最終回となりました

横一文字に長細いスイスのジュラ地方は,バナナを輪切りにするように、3つの州にまたがっています。
左からヴォー州、ヌーシャテル州、ジュラ州です。それぞれに縦割りの行政力が働くので、ジュラ地方としてまとまった観光予算を組んで観光開発するには至らないようです。

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振り返れば、アルプス連峰の絶景が楽しめるジュラ山脈。ジュラ地方は、懐かしさと人の優しさが残るスイスの秘境です。

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[315]ジュラノート49

■もう152年も前のお話です

1863年といえば、明治維新の5年前、隣国のフランスではナポレオン3世の時代、彼は出来立てホヤホヤのスイス連邦との間で、ジュラ地方の小さな土地の交換をしたそうです。ちょうど新しい国境線が自分の土地を通過することになったポンテュスさんが、国境線上に自分の家を建てるという妙なことを思いついたのが、ことのはじまりです。屋根さえ載せてしまえばこっちのものと、一晩で棟上げしたそうです。

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ホテルの脇にあるフランス領を示す礎石         アルベー一家の冒険物語を語った本    スイス領(ヴォー州)の境界線(フランスの礎石と裏表)

ポンテュスさんからこの家を譲り受けたアルベー家はこれをホテルにしました。しかし第二次世界大戦中は、ナチスドイツ、フランスのヴィシー政府、フランスのレジスタンス、中立のスイスと四つの勢力がこの小さな家にひしめき合って、階段の上の方はスイス、下はフランス、バーもレストランもドイツとフランスで半分こ、一家は中立のスイス部分で暮らしたそうです。でも時々は排気口から敵情を見たり、英国の落下傘兵をかくまったり、子供達は、靴にニンニクを塗って犬がついてこないようにして、フランスのレジスタンスに伝言を届けたりしたということです。こうしたお話は、左の写真のフランスのアルベー若夫人の伯父さん達から直接聞いた話です。
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スイスとのおつきあいは、スイス政府観光局から始まって、もうかれこれ40年。まだまだ奥深いスイスの魅力を追いかけています。hpもどうぞご覧下さい。
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