[326]スイスに住んだセレブ−1の2

■ 30年もその村に住んで!

AH1_convert_20150424100743.jpeg

墓地の一番奥の木の十字架がオードリーの墓。そのあとには,当時まだ誰も埋葬されていなかった

 1993年1月、ヘップバーンがスイスで亡くなったというニュースが流れた時、まだ現職のスイス政府観光局員だった私は、大慌てでトロシュナという場所を地図で探したものです。ともかくそれまで現存の有名人の情報がはいってくることは皆無だったのですから。
 その年の6月、私は出張にかこつけて、とるものもとりあえずトロシュナ村に駆けつけました。時間がないので、モルジュの駅からタクシーでぐるりと回ってもらったのです。運転手は、「うん、ヘップバーンも何度か乗せたよ。ローザンヌの映画館に行くのだと言っていた。ちっとも飾らない人だったよ」。そして私の大好きだったウィリアム・ホールデンが住んでいた家とか、近くにユル・ブリンナーの元夫人が住んでいるとか、まったくお隣さんのことを話すように、あれこれと聞かせてくれたのでした。住んでいた家の前はもちろん、ちょっと小高い丘のようになっているトロシュナの墓地にも連れていってくれました。その時は仮の墓標で、木の十字架が慎ましく立っていましたが、まもなく前述のような石の墓に変えられたのでした


スキャン_convert_20150424103054 AH+2_convert_20150424100816.jpeg              当初は162番という番号札だけだったオードリーの墓          オードリーが30年も住んだ、「ラ・ペジーブル」の館。

スポンサーサイト

[325]スイスに住んだセレブー1の1

■ A.ヘップバーンの墓

銀幕の妖精、オードリー・ヘップバーンの墓は、チューリップの町モルジュからバスで10分程西へむかったトロシュナ村にある。スーパーもコンビニもない、ブドウ畑だけの村である。

ふと、とんでもないことが気になった。西洋では、墓は20年か25年経つと取り払われて、次の人のために場所をあけることがあるのだ。アンデルセン賞画家のカリジェの墓を訪ねて,生まれ故郷のトゥルン村を再訪した時、もとあった場所には見つからず、まわりの人に聞いたら「ウ〜ン、どこかにあったね」と見回して、教会の壁に立てかけられていた墓標を見つけたことが思い出される。

     Scan20002_convert_20150419081251.jpg

1993年に亡くなったA.ヘップバーン、もう没後22年も経っている。ひょっとして・・・と現地に問い合わせたところ、「 there is no reason that A. Hepburn should be removed」という返事がきた。
墓では今でも「オードリー」の名がついた薄いピンクのバラがそっと咲いていることだろう。

[324]モルジュのチューリップ祭り5

■ヘップバーンも訪れたチューリップ祭り
モルジュの町からバスで10分のトロシュナ村に住んでいたオードリー・ヘップバーン。毎水曜と土曜に開かれるモルジュの朝市には、恋人のロブと二人で良く現れたそうです。
他にもレマン湖畔に住んだ有名人は数多くいます。

TUL_0099_convert_20150409222048.jpg

[323]モルジュのチューリップ祭り4

■アンデパンダンス公園=独立?公園

TUL_00A0_convert_20150326234146_201503262344419de.jpg TUL_0071_convert_20150326234237_20150326234440d45.jpg  レマン湖の向こうにモンブランを望む絶景ポイント

アンデパンダンス=インデペンデンスの名がついた公園や広場は世界のあちこちにあるようですが、ここモルジュの独立は、なんとスイス国内のベルン州の圧政からの解放を意味しています。1798年のことで,それから5年後にモルジュを含むヴォー州は,ローザンヌを州都としてスイス連邦に加わったのです。こんなわけで、同じスイス人でも、ドイツ語とフランス語という母語の違いもあり、どうもヴォー州とベルン州は気持ちの上ではしっくりいかないようです。まるで日本の旧長州藩と会津藩の確執みたいで、どこの国にもどうも気に入らない奴というのはいるのですねえ。
プロフィール

ハイジおばさん

Author:ハイジおばさん
スイスとのおつきあいは、スイス政府観光局から始まって、もうかれこれ40年。まだまだ奥深いスイスの魅力を追いかけています。hpもどうぞご覧下さい。
www.office-romandie.info/

カウンター
最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
検索フォーム
リンク
QRコード
QR