[334]スイスに住んだセレブ-1の10

■いつまでも妖精のままでいて欲しいファン?

女優としての名声が確立するのと反比例するように、オードリーの普通の人でありたいという願望、人の役にたちたいという願望は確固たるものになっていったようです。その遺志を汲み取って活動していたトロシュナのパヴィリヨンは、2003年の10月に閉鎖されました。遺族が展示物のローンを5年に限っていたそうです。アメリカに住む上の息子のショーンはその頃、自らオードリーの伝記も執筆しました。日本でもこのパヴィリヨンを中心に取材する計画も持ち上がっていましたが、事前に潰えました。関係者が複雑にからみ、誰もが、ショーンの名前を持ち出しながら、だれもコミットしない/できない、という有名人とりまき独特のムードが、当時の私なんぞにも伝わったことでした。
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2000年4月24日の朝日新聞の記事                                オードリー・ヘップバーンパヴィリヨンの案内パンフ

一度有名になったら、もう一度無名になるのは難しい、これを痛切に感じたのが息子のショーンかも知れません。
二つの人生を許さないのは、ファンの方なのかも知れませんね。
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[333]スイスに住んだセレブ-1の9

■左手のウイングではユニセフ親善大使

オードリー・ヘップバーン・パヴィリヨンの左半分は、彼女のユニセフでの活動の紹介に充てられていました。当時の入館料は10スイスフラン、収益はユニセフやオードリー子供基金の援助に充てられ、運営は約50人のヴォランティアによって行われていました。

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オードリー自筆の絵。ユニセフのカードになっている。

入館者の筆頭は日本人で、『ローマの休日』をはじめとするオードリーの華やかなスクリーン人生の再現を期待した訪問者には、この左半分の展示は、やや意外だったかもしれません。ごく初期の当館紹介パンフレットには、現地の日本食仕出屋の広告も載っていました。

1929年生まれのオードリーが、ユニセフの親善大使になったのは59歳の1988年のこと。それから5年後の1993年に大腸ガンで亡くなりました。自分がガンだと判った時、最後のパートナーだったロブの腕の中でさめざめと泣いたと、まるで見たかのように書いた本もありました。ともかくたったの63歳!若すぎます!


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スイスとのおつきあいは、スイス政府観光局から始まって、もうかれこれ40年。まだまだ奥深いスイスの魅力を追いかけています。hpもどうぞご覧下さい。
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