[342]スイスに住んだセレブ7−1

■イゴール・ストランヴィンスキーと春の祭典

ロシア革命後のスイスのレマン湖畔、とくにモントルーとヴェヴェイや、中間地点にあるクララン附近は、旧ロシアから流れてくる金持ちや芸術家で賑わった。そこにはフランス、スイスをはじめ、ヨーロッパ中の芸術家が集い、まるで芸術家村の趣であったろう。ストラヴィンスキーは,病弱な妻を伴ってこの地に住み、ここで『火の鳥』などを作曲した。ロシア・バレエ団との親交も確立、他方、近くのローザンヌの丘に住むココ・シャネルとの艶聞も噂された。

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現在、モントルーには世界に誇るコンヴェンションセンターがあるが、その中の最大1800人収容のホールには、「ストランヴィンスキー・オーディトリウム」の名前がつけられている。
20年ほどまえに、ストラヴィンスキーが住んだ家というのをクララン附近で訪ねたが、なにやら黄色のペンキで塗られた存在感の薄い佇まいであった。ここに永住するのでなく、活動の場とした当時の若い芸術家たちの、夢の跡であったのかもしれない。
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[341]スイスに住んだセレブ6−1

■伝説の名ピアニスト:クララ・ハスキル

「はじめのうちは、畸形のクララ・ハスキルが舞台に登場するのを見て当惑した観客も彼女が音符を3つ弾いただけでもう美しさしか見えなかった」と言われる、稀代の名ピアニスト,クララ・ハスキルが住んでいたアパルトマンが,ヴェヴェイの街の湖畔にある。Quai Perdonnet 14番地、たしか4階建て位の最上階で、一階の道路際に案内板が取り付けられていた。交差する横町は、この名ピアニストに敬意を表してハスキル通りと名付けられている。
haskil01_convert_20150922203310.jpg    スキャン_convert_20150922203041                                           古ヴェヴェイ博物舘

ルーマニア生まれ、祖国を追われて、フランス経由スイスに亡命した。脊髄を患い不自由な生活だったようだが、その名声は,ピアノを弾く人にとってはカリスマ的でさえある。
 ヴェヴェイ市は、この悲運の大ピアニストに敬意を表して、「クララ・ハスキル ピアノコンクール」を開いている。

[340]スイスに住んだセレブ5−1

■ココ・シャネルもローザンヌに眠る~愛猫とは別々に

フランス人のココ・シャネルは,パリのホテル・リッツで亡くなったそうだが、生前のナチスへの協力などで弾劾されて母国での埋葬を拒絶された結果、晩年を過ごしたローザンヌの墓地に葬られたという。白い花が絶えないというその墓地には行ったことがないが、彼女の愛猫の墓という近くは通ったことがある。猫好きには気になる墓だろう。Beau+Rivage_convert_20150912103734.jpg
ローザンヌ一の豪華ホテル、昭和天皇も宿泊されたという,レマン湖畔のホテル・ボーリヴァージュの、その広大な庭に近づく小道に、幾つもの小さな石碑が埋められた小さな斜面がある。ここにその猫の墓があるというが、どれかは確かめることもせずに先を急いでしまったのだった。

[339]スイスに住んだセレブ4−1

■メグレ刑事もここに? ローザンヌとジョルジュ・シムノン

ベルギー生まれのジュルジュ・シムノンが、晩年ローザンヌに住んで、この地で亡くなったことはあまり知られていないようだ。
ローザンヌ駅と湖畔のウーシーの中間地点にある、ホテル・カールトンには、かつてシムノン・バーというのがあった。街の中心よりさらに上の丘の方に住んでいたシムノンが、毎日丘を下りて来てはここで一杯飲むのがお決まりだったと聞いたことがある。カールトン_convert_20150910172732
メグレ刑事と聞いても知らない年代がほとんどだろう。私もスイスからの帰り道、飛行機の中で読むには探偵ものがよかろうと買った彼の本も、いつのまにかどこかへ行ってしまった。ホテルの名前も、当時はカールトンだけだったが、いまやCarton Lausanne Boutique Hotelと長い。ネットで調べてみたが、シムノンバーは表示されていなかった。
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スイスとのおつきあいは、スイス政府観光局から始まって、もうかれこれ40年。まだまだ奥深いスイスの魅力を追いかけています。hpもどうぞご覧下さい。
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