[348]スイスに住んだセレブ13-1
■フランスの建築家と呼ばれるル・コルビュジエはスイス出身
国立西洋美術館の設計者として知られるル・コルビュジエは、フランスの建築家として知られるが、本名をジャヌレという生粋のスイス人。生まれは時計産業の中心地、ジュラ地方のラショードフォンである。この町には彼が残した実家があるが、それよりも世界各地にちらばる名建築が、彼の名声を高めている。
ラショードフォンの背後の丘に立つ、ル・コルビュジェの家
レマン湖畔には、彼が両親のために建てたという「湖の家」がある。ヴェヴェイからローザンヌへ向かう幹線道路とレマン湖畔の間にはさまれているのだが、やっぱり長細い建物だったのか、入り口を探しているうちにあれよあれよと通り過ぎてしまい、ついに訪ねることはできずじまいだった。
ヴェヴェイに近いレマン湖畔にある両親のための「湖の家」
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国立西洋美術館の設計者として知られるル・コルビュジエは、フランスの建築家として知られるが、本名をジャヌレという生粋のスイス人。生まれは時計産業の中心地、ジュラ地方のラショードフォンである。この町には彼が残した実家があるが、それよりも世界各地にちらばる名建築が、彼の名声を高めている。



レマン湖畔には、彼が両親のために建てたという「湖の家」がある。ヴェヴェイからローザンヌへ向かう幹線道路とレマン湖畔の間にはさまれているのだが、やっぱり長細い建物だったのか、入り口を探しているうちにあれよあれよと通り過ぎてしまい、ついに訪ねることはできずじまいだった。


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[347]スイスに住んだセレブ12-1
■スイスを知の都としたロマン・ロラン
ヘミングウェイが竿をかついでレマン湖畔に釣りに行く時、きっと通ったにちがいないヴィルヌーブの町。ここには、あのロマン・ロランが住んだ。三日月形のレマン湖の西端の国際都市ジュネーブとは真逆の、東端にある小さな町だ。ヴィルヌーブとは新しい町の意味で、近くの名城シヨン城の当主のサヴォワ家が、13世紀に港として築いた。人口5千人ほどだが、スイス国鉄やヨーロッパの幹線シンプロンルートが抜ける要衝でもある。
ロマンロランはこの町に、1922年から1938年まで住み、その間にガンジー、タゴール、ツヴァイクなどの多くの思想家や文学者が訪れた。
彼が住んだヴィラ・オルガはヴィルヌーブの駅から10分程歩いた住宅地の中にあり、住所もAvenue Romain-Rolland 9 となっていて、私も30年程前に訪れたが、その家が今も訪問可能かどうかは、現在のヴィルヌーブ市のホームページには記載されていない。

ヘミングウェイが竿をかついでレマン湖畔に釣りに行く時、きっと通ったにちがいないヴィルヌーブの町。ここには、あのロマン・ロランが住んだ。三日月形のレマン湖の西端の国際都市ジュネーブとは真逆の、東端にある小さな町だ。ヴィルヌーブとは新しい町の意味で、近くの名城シヨン城の当主のサヴォワ家が、13世紀に港として築いた。人口5千人ほどだが、スイス国鉄やヨーロッパの幹線シンプロンルートが抜ける要衝でもある。
ロマンロランはこの町に、1922年から1938年まで住み、その間にガンジー、タゴール、ツヴァイクなどの多くの思想家や文学者が訪れた。
彼が住んだヴィラ・オルガはヴィルヌーブの駅から10分程歩いた住宅地の中にあり、住所もAvenue Romain-Rolland 9 となっていて、私も30年程前に訪れたが、その家が今も訪問可能かどうかは、現在のヴィルヌーブ市のホームページには記載されていない。

