[451]ハイジおばさんの断捨離日記-39
✳️災害が起きたら! 第一次避難所と第二次避難所
えーと、我が家の住所で指定された災害時の避難所は、明治大学のキャンパスと松原小学校、そのどちらでもいいのかと思っていたら、避難先にも第一と第二次があると例の「防災手帳」にある。
理論上の説明としては、まず一時避難所へ逃げ、そこから高齢者とか介護度の付いている人が第二次避難所に移る、とある。でも松原小学校に近い人は、明治大学へ行かずに、近い方に逃げ込むのは当然だろう。それはどうやって交通整理するのだろう。
我が家から明治大学キャンパスは、普通5−6分でいける。しかしそれは素手の時であって、避難となれば、避難用のリュックかカートを持って甲州街道を渡らなければならない。地震などで高速道路が落下したら、どうやって向こう側へ渡れると言うのだろう。
考えれば考えるほど非現実的に思えて、馴染みの民生委員に電話してみた。
「おっしゃる通りなのです。災害時は甲州街道がブロックされて渡れないことは十分に考えられるのです」とのこと。
近くに東京都の水道局管轄の広大な浄水施設がある。この場所が避難所に挙げられていないのは、これが世田谷区の所有でなく東京都の管轄だからと言うことらしい。
目下、井の頭通り矯正工事の、都水道局和田堀浄水場の敷地には、たくさんの桜の木があった。
以前に世田谷区の区議がなんでもお話を伺いますと言うので、今改装中のこの水道局の施設を世田谷区の僻地である松原1丁目や大原地区の福祉に使えないかと詰め寄ったが、「ああ、そのあたりは世田谷区のハズレですからねえ」で、チョン。
こうなると、自分の身は自分で守る、と言う原点に帰らざるを得ない。
それにしても、災害=避難、と言う図式が喧伝され過ぎているのではないか?
どんな場合に避難し、どんな場合は避難しないで自宅で守るか?について指針がない現状では、やっぱり自分で考えるしかないか!
えーと、我が家の住所で指定された災害時の避難所は、明治大学のキャンパスと松原小学校、そのどちらでもいいのかと思っていたら、避難先にも第一と第二次があると例の「防災手帳」にある。
理論上の説明としては、まず一時避難所へ逃げ、そこから高齢者とか介護度の付いている人が第二次避難所に移る、とある。でも松原小学校に近い人は、明治大学へ行かずに、近い方に逃げ込むのは当然だろう。それはどうやって交通整理するのだろう。
我が家から明治大学キャンパスは、普通5−6分でいける。しかしそれは素手の時であって、避難となれば、避難用のリュックかカートを持って甲州街道を渡らなければならない。地震などで高速道路が落下したら、どうやって向こう側へ渡れると言うのだろう。
考えれば考えるほど非現実的に思えて、馴染みの民生委員に電話してみた。
「おっしゃる通りなのです。災害時は甲州街道がブロックされて渡れないことは十分に考えられるのです」とのこと。
近くに東京都の水道局管轄の広大な浄水施設がある。この場所が避難所に挙げられていないのは、これが世田谷区の所有でなく東京都の管轄だからと言うことらしい。

目下、井の頭通り矯正工事の、都水道局和田堀浄水場の敷地には、たくさんの桜の木があった。
以前に世田谷区の区議がなんでもお話を伺いますと言うので、今改装中のこの水道局の施設を世田谷区の僻地である松原1丁目や大原地区の福祉に使えないかと詰め寄ったが、「ああ、そのあたりは世田谷区のハズレですからねえ」で、チョン。
こうなると、自分の身は自分で守る、と言う原点に帰らざるを得ない。
それにしても、災害=避難、と言う図式が喧伝され過ぎているのではないか?
どんな場合に避難し、どんな場合は避難しないで自宅で守るか?について指針がない現状では、やっぱり自分で考えるしかないか!
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[450]ハイジおばさんの断捨離日記ー38
🌠イチロー引退
長らく東京新聞をとってきたのは、料金が安かったからである。一ヶ月で数百円の差とはいえ、新聞の古紙として出すときには、抵抗がなくもなかった。
それがこの4月から300円値上げしますとのこと。
これこそ朝日新聞への復帰を決めるチャンス! 大げさだが、朝日の強引な勧誘を毛嫌いしていた自分を心変わりさせたのは、ここ十数年来、東京新聞のタイトルの付け方が、常にピンとこないできたむず痒さだった。
たった数文字のタイトル!素人の自分が添削などできるわけはない。しかし、東京新聞のタイトル付けを見るとき、いつでもどこといえないピントのズレを感じ、またどこにもそれをぶつけられないもどかしさを感じてきたのだった。
一体どこが違うのか???
昨日、今日とイチローの引退記事で、一面のみならず三面まで総動員の両紙である。
メインタイトルはどちらも『イチロー引退』。日米4367安打も同一。
違うのは、「後悔などあろうはずがありません」(朝日)に対し、45歳「この大歓声、後悔ない」(東京)の部分、ほとんど差がないのも珍しい!
この2つの文章で、長年疑問に思ってきた両新聞の、タイトル付の優劣を判断するのは少々無理があるが、あえて極論すれば、東京新聞は、しばしば表現のスタンスが一人称から三人称へとブレる。上記の2例でも、大歓声は自分ではなく観客のもので、それを聞けば自分は後悔ない、というふうに、感覚が往来する。そこでインパクトが失われる・・・・・と私は感じる。
一週間、東京新聞と朝日新聞の両方が追加料金なしに配達されるから、これ式の素人論評は一週間は続けられる。これだけでも得した気分なのは、貧しい読者の、本音でしょう。
あと一週間で、もっと適切な例が見つかるか???
長らく東京新聞をとってきたのは、料金が安かったからである。一ヶ月で数百円の差とはいえ、新聞の古紙として出すときには、抵抗がなくもなかった。
それがこの4月から300円値上げしますとのこと。
これこそ朝日新聞への復帰を決めるチャンス! 大げさだが、朝日の強引な勧誘を毛嫌いしていた自分を心変わりさせたのは、ここ十数年来、東京新聞のタイトルの付け方が、常にピンとこないできたむず痒さだった。
たった数文字のタイトル!素人の自分が添削などできるわけはない。しかし、東京新聞のタイトル付けを見るとき、いつでもどこといえないピントのズレを感じ、またどこにもそれをぶつけられないもどかしさを感じてきたのだった。
一体どこが違うのか???
昨日、今日とイチローの引退記事で、一面のみならず三面まで総動員の両紙である。
メインタイトルはどちらも『イチロー引退』。日米4367安打も同一。
違うのは、「後悔などあろうはずがありません」(朝日)に対し、45歳「この大歓声、後悔ない」(東京)の部分、ほとんど差がないのも珍しい!
この2つの文章で、長年疑問に思ってきた両新聞の、タイトル付の優劣を判断するのは少々無理があるが、あえて極論すれば、東京新聞は、しばしば表現のスタンスが一人称から三人称へとブレる。上記の2例でも、大歓声は自分ではなく観客のもので、それを聞けば自分は後悔ない、というふうに、感覚が往来する。そこでインパクトが失われる・・・・・と私は感じる。
一週間、東京新聞と朝日新聞の両方が追加料金なしに配達されるから、これ式の素人論評は一週間は続けられる。これだけでも得した気分なのは、貧しい読者の、本音でしょう。
あと一週間で、もっと適切な例が見つかるか???
[449]ハイジおばさんの断捨離日記-37
✳️緊急避難の準備ー防災その1
目の具合が悪くて、細かい仕事ができないので、ちょうど良い機会とばかりに災害時の避難用品の整理をすることにした。
そこで取り出したのが、黄色い表紙の『東京防災』の小冊子。なんでもスイス政府刊行の『民間防衛🇨🇭』をモデルにしたそうだが、なるほど手に取ってみると、どちらも両手の平に入るほどのサイズで、見やすい。

それから、今まで自分が用意してきて、避難の時に持ち出そうとしていたリュックサックを引っ張り出したのだが、中を広げて唖然とする・・・・・。
普段家で使わない、ローソクやらティッシュやら、ドライフーズなどが漫然とぶち込まれている。一体、どこに何を持って逃げようとしていたのか??? リュックの中身は、使い慣れない日用品の、中間処理場さながらであった。
目の具合が悪くて、細かい仕事ができないので、ちょうど良い機会とばかりに災害時の避難用品の整理をすることにした。
そこで取り出したのが、黄色い表紙の『東京防災』の小冊子。なんでもスイス政府刊行の『民間防衛🇨🇭』をモデルにしたそうだが、なるほど手に取ってみると、どちらも両手の平に入るほどのサイズで、見やすい。

それから、今まで自分が用意してきて、避難の時に持ち出そうとしていたリュックサックを引っ張り出したのだが、中を広げて唖然とする・・・・・。
普段家で使わない、ローソクやらティッシュやら、ドライフーズなどが漫然とぶち込まれている。一体、どこに何を持って逃げようとしていたのか??? リュックの中身は、使い慣れない日用品の、中間処理場さながらであった。
[448]ハイジおばさんの断捨離日記-36
[447]ハイジおばさんの断捨離日記-35
✳︎『くろんぼノビの冒険』
知り合いのお医者様から、こんな本をお借りしました。かなり古くて、落としたら、紙が粉になってしまいそうです。発行は昭和32年(1957年)、今から60年以上も前のものですから、無理もありません。

これは、『Der Neger Nobi』というドイツ語からの翻訳です。 判型は、だいたい新書版と同じですが、硬い表紙が付いていて、厚さ1.8センチ、その本のマチが、表紙の模様と同じ緑色で塗られていて、新書版とは比べ物にならない、しゃれた装丁になっています。
お話は、ノビという名前の愛すべき天性の黒人の少年が、生まれた村で成長しながら白人を退けるに至る日々の有様を、非常に身近なタッチで描いているものです。これを読んだ大人も子供も、自分に中にあるノビの部分を発見して、自分もこんな風に生きられるのではないか!とふと思い当たる、そんなお話です。
くろんぼうは差別用語に指定されていますが、ノビという名前が日本語の伸びを連想させるところも、心に入りやすい理由かもしれません。岩波少年文庫の131となっています。
知り合いのお医者様から、こんな本をお借りしました。かなり古くて、落としたら、紙が粉になってしまいそうです。発行は昭和32年(1957年)、今から60年以上も前のものですから、無理もありません。

これは、『Der Neger Nobi』というドイツ語からの翻訳です。 判型は、だいたい新書版と同じですが、硬い表紙が付いていて、厚さ1.8センチ、その本のマチが、表紙の模様と同じ緑色で塗られていて、新書版とは比べ物にならない、しゃれた装丁になっています。
お話は、ノビという名前の愛すべき天性の黒人の少年が、生まれた村で成長しながら白人を退けるに至る日々の有様を、非常に身近なタッチで描いているものです。これを読んだ大人も子供も、自分に中にあるノビの部分を発見して、自分もこんな風に生きられるのではないか!とふと思い当たる、そんなお話です。
くろんぼうは差別用語に指定されていますが、ノビという名前が日本語の伸びを連想させるところも、心に入りやすい理由かもしれません。岩波少年文庫の131となっています。