● ジュラの秋 9
■ スイス、ジュラ地方の秋色 〜
国境にまたがるホテル・フランコ・スイス
ジュラ地方のおしまいの話題は、国境にまたがって建つホテル・・・。
正確に言えば、フランスへ出入りする国境とスイスのへの国境線の間、無人地帯に建てられたホテルというのでしょうか・・・。
東の入り口はレストランになっていてスイス領、西の入り口はホテルのフロントでフランス領。当然ホテルの中を目に見えない国境線が貫通しているわけです。
こちらはスイス側の入り口。 反対側のフランス側の入り口。HOTELのTの字の縦線が国境線に当たるそうです。
階段も途中で2国に分かれ、テーブルも一人がスイス領に座れば、もう一人はフランス領。ベッドも頭と足で国が違うという部屋が2つもあります。

こちらは中央に見えない国境線が走るテーブル 1863年にナポレオン三世が置いた国境の礎石。
今頃はこの小さい坊やがオーナーかも?
くわしいことに興味がおありの方は、「スイスとっておきの旅便り」(JTB出版)のP109や、旅名人ブックス『ジュネーブとレマン湖地方』(日経BP)のP166など、ご覧下さい。
国境にまたがるホテル・フランコ・スイス
ジュラ地方のおしまいの話題は、国境にまたがって建つホテル・・・。
正確に言えば、フランスへ出入りする国境とスイスのへの国境線の間、無人地帯に建てられたホテルというのでしょうか・・・。
東の入り口はレストランになっていてスイス領、西の入り口はホテルのフロントでフランス領。当然ホテルの中を目に見えない国境線が貫通しているわけです。


こちらはスイス側の入り口。 反対側のフランス側の入り口。HOTELのTの字の縦線が国境線に当たるそうです。
階段も途中で2国に分かれ、テーブルも一人がスイス領に座れば、もう一人はフランス領。ベッドも頭と足で国が違うという部屋が2つもあります。


こちらは中央に見えない国境線が走るテーブル 1863年にナポレオン三世が置いた国境の礎石。
今頃はこの小さい坊やがオーナーかも?
くわしいことに興味がおありの方は、「スイスとっておきの旅便り」(JTB出版)のP109や、旅名人ブックス『ジュネーブとレマン湖地方』(日経BP)のP166など、ご覧下さい。
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コメントの投稿
過去の遺物?
EUになってから、国境の感覚も変わりましたね。スイスはEUに入っていないので、こんな話が生きているわけ。第二次世界大戦当時は、大変だったようですよ。
へえ~面白い!
こんなことあるんだ。島国日本ではありえない。