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● スイスの文化歴史街道ViaStoria - 16

■ トマスクックの道ViaCook -シャーロック・ホームズも

さて、このルートは、トマスクックの一行だけが利用したのではなかったのです。架空の話ではありますが、シャーロック・ホームズもこのダウベン湖のほとりを旅しています。
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ゲンミ峠の頂上に着いたホームズツアーの一行。西洋式の駕篭も活躍?

1891年の5月、宿敵モリアティ教授に追われたホームズが、その手を逃れて向かった先は,スイスでした。彼が辿った道は、トマスクックの一行と同じ、ロイカーバード経由、ゲンミ峠を越えてインターラーケンへ向かうものでした。つまりこのルートは、のちにブリークとシュピーツを結ぶレッチュベルグ鉄道が開通するまで、スイスの南西部と中央部を結ぶメインルートだったのです。


写真は、こうしたホームズの旅を再現した、ロンドンのシャーロック・ホームズ協会主催のスイスツアーのひとこまです。同協会では数年に一度こうしたツアーを編成し、日本から「日本シャーロック・ホームズ・クラブ」の会長夫妻が参加したこともあります。写真のコスチュームは、当時のイギリスの人々の生活を表わすもので、1863年のトマスクックの旅もきっとこんなものではなかったでしょうか?

ホームズ0002_convert_20130331171014 ホームズ0006_convert_20130331180007  ツアー参加者は、こんなヴィクトリア朝時代の服装で。           ゲンミ峠を背にダウベン湖畔を歩くツアーメンバー。

このダウベン湖のほとりで、ホームズ一行は恐ろしい目に遇います。「右手のがけのうえから、大きな岩がガラガラッと落ちてきて、湖水のなかに落ちていった」と書かれています。ここでもかろうじてモリアティ教授の魔の手を逃れたホームズは、マイリンゲンのライヒェンバッハの滝で運命の対決をすることになるのです。

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こんな車に交代で乗ったらしい。車上のホームズと傍らにワトソン教授。いかにも岩がガラガラ落ちてきそうな道です。





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スイスとのおつきあいは、スイス政府観光局から始まって、もうかれこれ45年。まだまだ奥深いスイスの魅力を追いかけています。hpもどうぞご覧下さい。
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