●スイスの文化歴史街道ViaStora - 21
■ トマスクックの道ViaCook - ルツェルンからリギ山へ
ギースバッハから船で対岸のブリエンツへ渡り、そこから馬車と徒歩でブリュニックの峠を越え、一行はルツェルン湖で再び船を利用してルツェルンへやってきました。
そこで4時間ほど観光したのち、再び船でリギ山の麓のウエッギスへ向かいます。
リギ山は、標高1800メートルしかなく、スイスでは山とも呼べない山ですが、周囲に遮るものがないため、日の出と日の入りの景色が素晴らしく、当時ヨーロッパ中の人気でした。
青い線がクック一行のルート。赤い線は、現代の空中ケーブルと登山電車。 1800年頃のルツェルンの町。左手の尖った山がリギ山。
このリギ山にリッケンバッハ式のラックレール鉄道が開通したのは1871年。つまりトマスクック一行から8年あとのこと。やむなく一行は、ヴィクトリア女王やヴィクトル・ユゴーなどと同様に、駕篭や徒歩で頂上制覇したようです。
1873年に開通した頂上部分 頂上にあるリギ・クルムホテル周辺
1873年にリギカルトバードからリギクルム(頂上)まで路線が開通したときは、日本の岩倉使節団が式典に参加しています。
ギースバッハから船で対岸のブリエンツへ渡り、そこから馬車と徒歩でブリュニックの峠を越え、一行はルツェルン湖で再び船を利用してルツェルンへやってきました。
そこで4時間ほど観光したのち、再び船でリギ山の麓のウエッギスへ向かいます。
リギ山は、標高1800メートルしかなく、スイスでは山とも呼べない山ですが、周囲に遮るものがないため、日の出と日の入りの景色が素晴らしく、当時ヨーロッパ中の人気でした。


このリギ山にリッケンバッハ式のラックレール鉄道が開通したのは1871年。つまりトマスクック一行から8年あとのこと。やむなく一行は、ヴィクトリア女王やヴィクトル・ユゴーなどと同様に、駕篭や徒歩で頂上制覇したようです。


1873年にリギカルトバードからリギクルム(頂上)まで路線が開通したときは、日本の岩倉使節団が式典に参加しています。
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