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[301]ジュラノート35

■”ジュラ山中に自由あり”ー2

「知られざるスイスの素顔」、とサブタイトルされたアサヒジャーナルの記事は、「色濃く流れる反逆精神」を大きな見出しにしています。ゲルマン化への抵抗!とも。川向こうはもうフランス領、16世紀の宗教改革で、多くのユグノー教徒が流れ込んだこの地方、巷の言葉はもちろんフランス語。気質も、質実剛健な部分が突出したフランス人のものです。しかしバーゼルの大司教の傘下にあったこの地方は、1815年のウイーン会議以来、カトリックでドイツ語を話すベルン州に編入されていました。
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左の旗が新ジュラ州のもの(あなたはあなた、我々は我われ)、右がベルン州の州旗。(そうだけど、あなたたちは私たち)と書かれている。「Jura, les sept clichés capitaux」より。

こうした長年の言語上,宗教上の軋轢から,国民投票がもたらした結果は、ジュラ州の独立。1979年,この小川記者の記事から5年後に,スイスの第23番目の州として、ドイツ語を公用語とするベルン州から独立を果たしたのでした。一つの国の中での分離独立活動としては珍しいといわれる、無血革命でした。
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Secre

No title

イラストひとつにも、こんな時代考証があるのですね。当然といえば当然ですが、そんな配慮を見逃してはいけないと強く感じました。ご指摘感謝します。1979年と言えば、私もスイスの仕事をはじめて2年目、ジュラの独立には驚かされたものです。

ベルボトム

ハイジおばさんへ

懐かしさのあまり、ついコメしてしまいました。
当時ラッパズボンとも言ってましたね。
これはいて粋がってました。

シャポー!(脱帽!)

まあ、ジーンズのパンタロンにご注目とはさすがの着眼ですね!落下傘スタイルというんでしたっけ?ちっとも気がつきませんでした。

こんな歴史があるのですね

ハイジおばさんへ。

興味ある話です。
この時代、世界的にパンタロンのジーンズがはやっていたのですね。

小さなスイスで、フランス語圏、ドイツ語圏の主張が、こんなに対抗していたとは・・・
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ハイジおばさん

Author:ハイジおばさん
スイスとのおつきあいは、スイス政府観光局から始まって、もうかれこれ45年。まだまだ奥深いスイスの魅力を追いかけています。hpもどうぞご覧下さい。
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