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[302]ジュラノート36

■ ”ジュラ山中に自由あり−3”ーアナキストと時計職人

石川啄木の詩に、「かのジュラの山地のバクウニンが友を忍ばしめたり」という一行があるという。ロシアの革命家バクーニンは、たしかに友人の手引きでその故郷のル・ロックルやラショードフォンに滞在した。M.アンケルの『ジュラ同盟』はスイスにおけるアナキズムの起源を扱っているそうだが、それによるとアナキズムが浸透した地域は、とくに時計産業の盛んなとことだったという。言い伝えによると、牧畜地帯だったジュラ地方に時計産業が発達したのは、17世紀に馬商人がこの地で故障した時計の修理を鍛冶屋に依頼したところ、この鍛冶屋がそのメカニズムをすっかり記憶し、その後独力で時計を造り、それを産業にまで発達させたという。また別の説では、16世紀にフランスから逃げ込んで来たユグノー教徒が持ち込んだ技術だという歴史も伝えられる。
DSCN1283_convert_20140823103230.jpg このドゥー川の向こうはもうフランス領。日本だったらほんの県境?

いずれにしても、ジュラとフランスは川一本はさんで背中合わせ、日本ではとても想像しにくい不思議さだ、と小川記者も書いています。
DSCN1275_convert_20140823103318.jpg DSCN1281_convert_20140823103400.jpgドゥーの滝へ往復する物静かなスイスのボートと、                       客を満載したフランスの遊覧船。




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No title

日本人にはほんとに馴染まない国境線の感覚!知らずに越えていたなどというのは朝飯前です。でもEUに加盟していないスイスでは、隣国との間の主要道路には,一応検問所があります。まわりをぐるりと取り囲まれたジュネーブでは、七十数カ所、そういう地点があると聞きましたが、毎日路線バスはこうした主要道路を越えて、仕事や買い物に行く2つの国の国民を運んでいて、検問のために係官が乗り込んでくることは、事件でもないかぎりありません。しかし密入国しても、身分証明書がない限り就職も宿泊も(一応)できませんから、こっそり国境をこえる意味はあまりないわけです。でもやっぱり自然の海が国境線の日本人にはぴんときませんね。

川を境の国境

ハイジおばさんへ。

こんな風景初めて見ました。
川の向こうが別の国なんて・・・
イムジン河みたい。


こちらは分断された国で、川の向こうとは、簡単には行き来出来ませんが、
スイスとフランスどうなのでしょう。
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Author:ハイジおばさん
スイスとのおつきあいは、スイス政府観光局から始まって、もうかれこれ45年。まだまだ奥深いスイスの魅力を追いかけています。hpもどうぞご覧下さい。
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