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[315]ジュラノート49

■もう152年も前のお話です

1863年といえば、明治維新の5年前、隣国のフランスではナポレオン3世の時代、彼は出来立てホヤホヤのスイス連邦との間で、ジュラ地方の小さな土地の交換をしたそうです。ちょうど新しい国境線が自分の土地を通過することになったポンテュスさんが、国境線上に自分の家を建てるという妙なことを思いついたのが、ことのはじまりです。屋根さえ載せてしまえばこっちのものと、一晩で棟上げしたそうです。

国境ホテル8_convert_20150105161102 Arbezie_convert_20150105230447.jpeg Franco-Suiss6_convert_20141221103725_convert_20150105161223.jpg
ホテルの脇にあるフランス領を示す礎石         アルベー一家の冒険物語を語った本    スイス領(ヴォー州)の境界線(フランスの礎石と裏表)

ポンテュスさんからこの家を譲り受けたアルベー家はこれをホテルにしました。しかし第二次世界大戦中は、ナチスドイツ、フランスのヴィシー政府、フランスのレジスタンス、中立のスイスと四つの勢力がこの小さな家にひしめき合って、階段の上の方はスイス、下はフランス、バーもレストランもドイツとフランスで半分こ、一家は中立のスイス部分で暮らしたそうです。でも時々は排気口から敵情を見たり、英国の落下傘兵をかくまったり、子供達は、靴にニンニクを塗って犬がついてこないようにして、フランスのレジスタンスに伝言を届けたりしたということです。こうしたお話は、左の写真のフランスのアルベー若夫人の伯父さん達から直接聞いた話です。
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Secre

No title

ヨーロッパでも、今はシェンゲン条約とやらによって、国境は自由に越えられるようになっているようですが、各国に政府があり、言葉も違う以上、感覚的には隣の国はやっぱりよその国なのでしょうね。EU脱退論が盛んなイギリスは、陸続きでない、という点でEUの恩恵を感じ難いのかもしれません。いずれにしても島国に居る日本人は、よ〜く考えてもこの感覚は判りにくいですね。

飛び地ねえ

ハイジおばさんへ

飛び地、懐かしい言葉です。
陸続きの大陸では、略奪の歴史。

EUの結束、ギリシャ問題で、ほころびが出始めたかな?

国境って何?

入り組んだ国境線や飛び地などで、ヨーロッパでは戦時中に誤爆なども沢山あったらしいですが、日本では国境なんてまるで県境みたいな感覚。尖閣諸島も隣の人に売ったような気分なのかも知れません。この逸話のポンチュスさんも、二国にまたがっていれば両方の利権を使えると思ったのかな?でもEUになったら、これもあまり儲かりそうな話にはなりませんね。

面白い!

面白いことに興味を持つ人がいるものですね。
文字からは、コメディーのように感じますが、各国籍の人にとっては、真剣だったのでしょう。

閑話休題。
日本の場合、所有権を持つ山形?県人が尖閣諸島を東京都に売る話からややこしくなりました。
アンタッチャブルにしていたから、問題にならなかったのですが…
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ハイジおばさん

Author:ハイジおばさん
スイスとのおつきあいは、スイス政府観光局から始まって、もうかれこれ45年。まだまだ奥深いスイスの魅力を追いかけています。hpもどうぞご覧下さい。
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