[325]スイスに住んだセレブー1の1

■ A.ヘップバーンの墓

銀幕の妖精、オードリー・ヘップバーンの墓は、チューリップの町モルジュからバスで10分程西へむかったトロシュナ村にある。スーパーもコンビニもない、ブドウ畑だけの村である。

ふと、とんでもないことが気になった。西洋では、墓は20年か25年経つと取り払われて、次の人のために場所をあけることがあるのだ。アンデルセン賞画家のカリジェの墓を訪ねて,生まれ故郷のトゥルン村を再訪した時、もとあった場所には見つからず、まわりの人に聞いたら「ウ〜ン、どこかにあったね」と見回して、教会の壁に立てかけられていた墓標を見つけたことが思い出される。

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1993年に亡くなったA.ヘップバーン、もう没後22年も経っている。ひょっとして・・・と現地に問い合わせたところ、「 there is no reason that A. Hepburn should be removed」という返事がきた。
墓では今でも「オードリー」の名がついた薄いピンクのバラがそっと咲いていることだろう。
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Secre

No title

いまじゃ、オードリー・ヘップバーンと言っても知らない若ものばかりらしいですね。以前に紅茶の広告に使われていたとき、「この綺麗な人だあれ?」と聞かれて、がっくりしたのを思い出します。永遠の美女!なんて儚いもの・・・。美女でなければそれ以前の問題???

OではなくAでした!

ハイジおばさんへ。

ヘップバーンのファーストネーム、OではなくAでしたね。
お墓にちゃんと記されていたのに・・・
思い込み、ヤバ。

No title

kazuさん、さっそくのコメントを有り難う存じます。オードリーと書きながら、なんとなく違和感を感じたのは、お笑い芸人の方が頭をよぎったからかもしれません。さっそく一部書き直しました。彼女に関してはいろいろ聞いたことがありますので、すこしずつ紹介します。

若い人たちにはお笑い芸人?

ハイジおばさんへ

いいね。O.ヘップバーンが亡くなってそんなになるのですね。
墓の場所を次の人に譲るなんて、日本じゃ考えられない。

彼女との、映画の出会いは、「ローマ休日」ではなく、「緑の館」。
清楚ですらっとした森の妖精のような姿に、心ときめいたものです。
1959年作。56年も前の映画です。

当時旦那だったM.ファーラーが監督。この頃の彼女の映画は、ほとんどヒットしていたけど、興行的にも評価も失敗した作品だったそうです。
そのためか、私も、森の中に佇むシーンしか覚えてません。

晩年、ユニセフの活動に取り組んでいたのは記憶にありますが、あのしわくちゃ顔の姿は見たくなかった。

でも、いまの若い人にはオードリーといえば、マッチョなお笑い芸人の春日しか知らないのでは?
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ハイジおばさん

Author:ハイジおばさん
スイスとのおつきあいは、スイス政府観光局から始まって、もうかれこれ40年。まだまだ奥深いスイスの魅力を追いかけています。hpもどうぞご覧下さい。
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