[350]スイスに住んだセレブ15-1
■ジャン=ジャック・ルソーは何国人?
小学唱歌の”むすん〜で、ひらい〜て”の作曲者としてはあまり知られていないルソーだが、生まれたのはジュネーブの旧市街。フランス革命勃発の一年前にフランスで没している。ジュネーブのシンボルであるサンピエール寺院近くの生家は、いまはオーディオ設備を駆使した博物館になっていて、たったの25分でルソーの生涯を駆け抜ける。
残した教育的知的財産は計り知れないものがあることに異論はないが、実際の生涯は子捨て、不倫、逃亡などと悲惨な部分も多く、その多くがスイスの地にまつわる。ジュネーブを起点に、多くの作品の舞台となったレマン湖畔のクララン附近、ワランス夫人の家を斜に見るヴェヴェイの「カフェ・クレ」、友人を頼ったヌーシャテルの「ペイルー邸」、ヌーシャテル湖に浮かぶサンピエール島、ジュラ地方のモチエなど、これらを辿るだけでも観光旅行になりそうだ。
ジュネーブはルソーが生まれた当時小さいながら一つの共和国として独立した存在で、1815年にいまのスイス連邦に加入してその州のひとつになった。だから今で言えばルソーはスイス人ということになる。しかし葬られたのがヴォルテールと並んでパリのパンテオンということになれば、立派なフランス人のようでもある。
真田丸は信州上田の産である!と言いたくなる心意気も判るような気がしてくる。



小学唱歌の”むすん〜で、ひらい〜て”の作曲者としてはあまり知られていないルソーだが、生まれたのはジュネーブの旧市街。フランス革命勃発の一年前にフランスで没している。ジュネーブのシンボルであるサンピエール寺院近くの生家は、いまはオーディオ設備を駆使した博物館になっていて、たったの25分でルソーの生涯を駆け抜ける。
残した教育的知的財産は計り知れないものがあることに異論はないが、実際の生涯は子捨て、不倫、逃亡などと悲惨な部分も多く、その多くがスイスの地にまつわる。ジュネーブを起点に、多くの作品の舞台となったレマン湖畔のクララン附近、ワランス夫人の家を斜に見るヴェヴェイの「カフェ・クレ」、友人を頼ったヌーシャテルの「ペイルー邸」、ヌーシャテル湖に浮かぶサンピエール島、ジュラ地方のモチエなど、これらを辿るだけでも観光旅行になりそうだ。
ジュネーブはルソーが生まれた当時小さいながら一つの共和国として独立した存在で、1815年にいまのスイス連邦に加入してその州のひとつになった。だから今で言えばルソーはスイス人ということになる。しかし葬られたのがヴォルテールと並んでパリのパンテオンということになれば、立派なフランス人のようでもある。
真田丸は信州上田の産である!と言いたくなる心意気も判るような気がしてくる。

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