[405]閑話休題〜『さらばピカソ!』
アマゾンのカスタマーレビューに、5点の最高点で『さらばピカソ!』を紹介してくださった方がおりました。感謝を込めて、引用させて頂きます。
『さらばピカソ!』 投稿者Amazon カスタマーレビュー2017年8月28日
面白い。とにかく面白い。しかも読みやすい。美しい表紙に惹かれて購入してみたが、ぐいぐい引き込まれて、気がついたてみたら2日間で読了していた。
翻訳者の鈴木光子氏は1938年生まれだという。本書の読後感として、何よりもまずこの人の精神力、知力に敬意を表したい。これがプロの技というものか!彼女は原著のフランス語をまったく「翻訳臭」のない流麗華美な日本語に変えた。その訳文は迫力に満ちていて、その筆致の確かさと語彙の豊富さには驚嘆せざるを得ない。東京外国語大学フランス語科卒、フランス郵船・スイス観光局に勤務という、いわば陽の当たる道を歩いてきたというのに、いつの間に憶えたのか低俗な言い回しを駆使して、現代ヨーロッパの暗部をこれでもか、これでもかと描き出していく。
その訳文の流麗華美なこと!——「詮索好きの、おしゃべりババアめ……ひっぱたいてやりたいようなブルジョワ……この甘ったるい習い性……空涙なんぞ流してみせながら……洟垂れ小僧のすることだ……おくびにも出さない……ごろつきのようなやつ……ただの猫かぶりのモデル……いやしくも名だたる商売女ならまっさきに売りつけようとするおためごかし……生まれつき能天気な人……若いピチピチギャルが必要……人呼ぶところのその筋の女を尊敬する人種……なんの役にも立たない禄でもない仕事に没頭……このおめでたい盗人め!……このくそったれめ!……世界中がゲロを吐く……おためごかしの親切さ……ポッと出のモデル志望の少女たち……強面(こわもて)の男たちも現ナマの前にはいちころ……あの頃をご覧あれというわけだ……まだまだイケるわよとうそぶいて……カマトト娘に入れあげていた……角の飲み屋で洗いざらいぶちまけてしまうような連中……丸め込まれて首根っこを押さえる……取り澄ました踊り子……振られ男の運命……しゃっちょこばった様子……」等々、その表現力の豊かさにはまったく舌を巻く。
著者バリリエは、画家ゴッドワード「日記」の形式を借りて、その内面の葛藤を描き出している(本書を読むまで私はゴッドワードという画家を知らなかった)。主題の人物ピカソは、読者の前には姿を現さない。ゴッドワードの日記の中、つまり彼の想念の中に描かれるだけ。しかし描かれるその姿には凄まじい迫力がある。主語は「俺」(ゴッドワード)——この女性女流翻訳家は男性一人称をそう表現する。その「俺」が、「日記」の中でルイス・ピカソという画家の悪魔的な仮面を剥がし、その野獣的な本性をえぐり出してゆく——「(ルイスのやり方は)食人鬼が、物とか人などお構いなく何でも貪り食うのと同じだ」「女たらし、裏切り者、破壊者、何もかも無にするあの男」「(ルイスは)自分が何を考えているのかが判っていない……世間のものをくすねて、なんとかして自分を知らしめようとしている……人間を利用して自分の役に立てる器用なやつです」「彼(ルイスは)自分がそれを熟知していることをつゆ認識せず、背を向け、自分をとりまく世界を破壊する前に自分を破壊するのだ。だめだ、ルイスを許すことは絶対にできない」。
圧巻はピカソの出世作『ボルデル』に対する評価(『ボルデル』とはフランス語で「売春宿」)——「この『ボルデル』の絵の中で、この二人の女以外の目つきは……深いというより空虚であり、そう、その凝視する目は仮面の穴である……ルイスの絵はすべてを語っているようで、なにも語っていない……右下にうずくまる女は、股を開き、またとない卑猥なポーズをとっているようにみえるが、しかし実際には猥雑でもなく、官能的でもない。彼女は性を表していないのだ」と断定し、「……彼はこの化け物のような絵で芸術家も含めた取り巻き連中を恐怖に落とし入れて満足したのだ」と裁断を下す。
この、ゴッドワードの「日記」に描かれているのは1917年のことであり、『ゲルニカ』はまだ発表されていない。だが「20世紀を象徴する絵画」ともいわれるその絵にも、ゴッドワードおよその評価を下している——「ルイスは自分で気がついても望んでもいないうちに、我われヨーロッパを腐らせ、苦しめ、汚し、殺しているもっと大きな恐怖を予言したのではないか。この偉大な捏造者は……」と。
本書はまた、コンパクトな近代西欧文化にもなっている。画壇ではターナー、ティティアーノ、コロー、マティス、ロートレックetc.、文壇ではシェイクスピア、バイロン、キーツ、オスカー・ワイルド、マシュー・アーノルドetc.、音楽界ではストラビンスキー、エルネスト・アンセルメetc.、お馴染みの芸術家が登場し、彼らへの寸評もあって格好の案内書となっている。
『さらばピカソ!』 投稿者Amazon カスタマーレビュー2017年8月28日
面白い。とにかく面白い。しかも読みやすい。美しい表紙に惹かれて購入してみたが、ぐいぐい引き込まれて、気がついたてみたら2日間で読了していた。
翻訳者の鈴木光子氏は1938年生まれだという。本書の読後感として、何よりもまずこの人の精神力、知力に敬意を表したい。これがプロの技というものか!彼女は原著のフランス語をまったく「翻訳臭」のない流麗華美な日本語に変えた。その訳文は迫力に満ちていて、その筆致の確かさと語彙の豊富さには驚嘆せざるを得ない。東京外国語大学フランス語科卒、フランス郵船・スイス観光局に勤務という、いわば陽の当たる道を歩いてきたというのに、いつの間に憶えたのか低俗な言い回しを駆使して、現代ヨーロッパの暗部をこれでもか、これでもかと描き出していく。
その訳文の流麗華美なこと!——「詮索好きの、おしゃべりババアめ……ひっぱたいてやりたいようなブルジョワ……この甘ったるい習い性……空涙なんぞ流してみせながら……洟垂れ小僧のすることだ……おくびにも出さない……ごろつきのようなやつ……ただの猫かぶりのモデル……いやしくも名だたる商売女ならまっさきに売りつけようとするおためごかし……生まれつき能天気な人……若いピチピチギャルが必要……人呼ぶところのその筋の女を尊敬する人種……なんの役にも立たない禄でもない仕事に没頭……このおめでたい盗人め!……このくそったれめ!……世界中がゲロを吐く……おためごかしの親切さ……ポッと出のモデル志望の少女たち……強面(こわもて)の男たちも現ナマの前にはいちころ……あの頃をご覧あれというわけだ……まだまだイケるわよとうそぶいて……カマトト娘に入れあげていた……角の飲み屋で洗いざらいぶちまけてしまうような連中……丸め込まれて首根っこを押さえる……取り澄ました踊り子……振られ男の運命……しゃっちょこばった様子……」等々、その表現力の豊かさにはまったく舌を巻く。
著者バリリエは、画家ゴッドワード「日記」の形式を借りて、その内面の葛藤を描き出している(本書を読むまで私はゴッドワードという画家を知らなかった)。主題の人物ピカソは、読者の前には姿を現さない。ゴッドワードの日記の中、つまり彼の想念の中に描かれるだけ。しかし描かれるその姿には凄まじい迫力がある。主語は「俺」(ゴッドワード)——この女性女流翻訳家は男性一人称をそう表現する。その「俺」が、「日記」の中でルイス・ピカソという画家の悪魔的な仮面を剥がし、その野獣的な本性をえぐり出してゆく——「(ルイスのやり方は)食人鬼が、物とか人などお構いなく何でも貪り食うのと同じだ」「女たらし、裏切り者、破壊者、何もかも無にするあの男」「(ルイスは)自分が何を考えているのかが判っていない……世間のものをくすねて、なんとかして自分を知らしめようとしている……人間を利用して自分の役に立てる器用なやつです」「彼(ルイスは)自分がそれを熟知していることをつゆ認識せず、背を向け、自分をとりまく世界を破壊する前に自分を破壊するのだ。だめだ、ルイスを許すことは絶対にできない」。
圧巻はピカソの出世作『ボルデル』に対する評価(『ボルデル』とはフランス語で「売春宿」)——「この『ボルデル』の絵の中で、この二人の女以外の目つきは……深いというより空虚であり、そう、その凝視する目は仮面の穴である……ルイスの絵はすべてを語っているようで、なにも語っていない……右下にうずくまる女は、股を開き、またとない卑猥なポーズをとっているようにみえるが、しかし実際には猥雑でもなく、官能的でもない。彼女は性を表していないのだ」と断定し、「……彼はこの化け物のような絵で芸術家も含めた取り巻き連中を恐怖に落とし入れて満足したのだ」と裁断を下す。
この、ゴッドワードの「日記」に描かれているのは1917年のことであり、『ゲルニカ』はまだ発表されていない。だが「20世紀を象徴する絵画」ともいわれるその絵にも、ゴッドワードおよその評価を下している——「ルイスは自分で気がついても望んでもいないうちに、我われヨーロッパを腐らせ、苦しめ、汚し、殺しているもっと大きな恐怖を予言したのではないか。この偉大な捏造者は……」と。
本書はまた、コンパクトな近代西欧文化にもなっている。画壇ではターナー、ティティアーノ、コロー、マティス、ロートレックetc.、文壇ではシェイクスピア、バイロン、キーツ、オスカー・ワイルド、マシュー・アーノルドetc.、音楽界ではストラビンスキー、エルネスト・アンセルメetc.、お馴染みの芸術家が登場し、彼らへの寸評もあって格好の案内書となっている。
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