[422]ハイジおばさんの断捨離日記ー10
■小澤征爾さんとスイス
また、古い新聞の切り抜きが出てきた。2004年11月13日の朝日新聞。
小澤征爾さんが、翌年レマン湖の上方のブロネーと言う小さな村に音楽学校を開くとある。ある年この村を訪ねた時、その学校なるものを発見した。入って見たが、森閑として音は聞こえなかった。二階建て?のシンプルで感じの良い建物だった。

ブロネーは、城で有名だ。パリに留学していた友人が、「僕のクラスには、ムッシュー・ブロネーという人がいるよ。なんだかスイスにお城を持っているらしい・・・」と言っていたから、この城の名は人名で、それがそのまま村の名前になっているようだ。
近くには、ブロネー・シャンビー鉄道というSLの路線があって、愛好家たちが、毎週末、可愛らしいSLを走らせている。
成城在住の小澤征爾さんは、私より3つ年上だが、数十年前、まだ「成城グリーンプラザ」というテニスクラブが健在だった頃、時々ご友人を伴ってテニスをしに来ておられた。最近はご病気続きで心が痛むが、必ず回復されることと信じている。
また、古い新聞の切り抜きが出てきた。2004年11月13日の朝日新聞。
小澤征爾さんが、翌年レマン湖の上方のブロネーと言う小さな村に音楽学校を開くとある。ある年この村を訪ねた時、その学校なるものを発見した。入って見たが、森閑として音は聞こえなかった。二階建て?のシンプルで感じの良い建物だった。

ブロネーは、城で有名だ。パリに留学していた友人が、「僕のクラスには、ムッシュー・ブロネーという人がいるよ。なんだかスイスにお城を持っているらしい・・・」と言っていたから、この城の名は人名で、それがそのまま村の名前になっているようだ。
近くには、ブロネー・シャンビー鉄道というSLの路線があって、愛好家たちが、毎週末、可愛らしいSLを走らせている。
成城在住の小澤征爾さんは、私より3つ年上だが、数十年前、まだ「成城グリーンプラザ」というテニスクラブが健在だった頃、時々ご友人を伴ってテニスをしに来ておられた。最近はご病気続きで心が痛むが、必ず回復されることと信じている。
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