481-ハイジおばさんの断捨離日記
🇨🇭🇨🇭🇨🇭 8月1日はスイスの建国記念日 🇨🇭🇨🇭🇨🇭
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昨日8月1日は、スイスの建国記念日だった。
ウィリアムテルの名前も登場する1291年の建国から、今年は722年目となるが、中央スイスのリュットリの野では、例年通り素朴な祝典が催された筈である。
この春、私が翻訳して大阪大学出版局から出版された、カミーユ・ゴルジェの『駐日スイス公使が見た第二次世界大戦』の足掛け6年間の日記では, 1945年のこの日には次のように記されている。
広島への原爆投下5日前の記述である.

"昨日、私の山の住まいに、軽井沢に避難しているスイス人を集めて、
[建国記念日]を祝った。
とても厳粛な雰囲気だった。
というのは、我々は近頃極めてドラマチックな日々を送っていたから
である。
日本は断末魔の苦しみだ。
昼となく夜となく、絶え間なく空襲されている。
彼らの町は次から次へと燃えている。
明日残っているのはどの町だろうか?
八月一日の午前中、私は午後に行う演説の練習を終えたところで、
ガラス窓が絶え間なく震えるのを見た。
町から町へと空襲に襲われているのだ。多分、高崎か上田だろう。
片手にペンを持ったまま、自分のひなびた書斎の中で私は、
“リュットリの誓い”を、そして死にゆく人々、逃げる途中の者、
怪我した人たち、半狂乱の人々思い浮かべていた。
頭の上で弔いの鐘を鳴らすような、感動的で不安を掻き立てる
ひとときであった。そしてお昼過ぎには、
みんな揃って歌を歌うことになるのだ・・・。
『駐日スイス公使が見た第二次世界大戦』より"
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昨日8月1日は、スイスの建国記念日だった。
ウィリアムテルの名前も登場する1291年の建国から、今年は722年目となるが、中央スイスのリュットリの野では、例年通り素朴な祝典が催された筈である。
この春、私が翻訳して大阪大学出版局から出版された、カミーユ・ゴルジェの『駐日スイス公使が見た第二次世界大戦』の足掛け6年間の日記では, 1945年のこの日には次のように記されている。
広島への原爆投下5日前の記述である.

"昨日、私の山の住まいに、軽井沢に避難しているスイス人を集めて、
[建国記念日]を祝った。
とても厳粛な雰囲気だった。
というのは、我々は近頃極めてドラマチックな日々を送っていたから
である。
日本は断末魔の苦しみだ。
昼となく夜となく、絶え間なく空襲されている。
彼らの町は次から次へと燃えている。
明日残っているのはどの町だろうか?
八月一日の午前中、私は午後に行う演説の練習を終えたところで、
ガラス窓が絶え間なく震えるのを見た。
町から町へと空襲に襲われているのだ。多分、高崎か上田だろう。
片手にペンを持ったまま、自分のひなびた書斎の中で私は、
“リュットリの誓い”を、そして死にゆく人々、逃げる途中の者、
怪我した人たち、半狂乱の人々思い浮かべていた。
頭の上で弔いの鐘を鳴らすような、感動的で不安を掻き立てる
ひとときであった。そしてお昼過ぎには、
みんな揃って歌を歌うことになるのだ・・・。
『駐日スイス公使が見た第二次世界大戦』より"
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