●カリジェとウルスリの鈴1
安野光雅先生の名前は知っていても、カリジェってだあれ?というご質問、ごもっともです。
アロイス・カリジェは、スイス人のイラストレーターであり絵本作家です。1902年生まれで1985年に亡くなりました。ちょうどその死亡記事をチューリヒからのスイス航空便の中で読んで、何やら日本と結びつきが生まれそうな予感がしたハイジおばさんでしたが、それが実現の一歩を踏み出したのは、1991年のことです。
制作中のカリジェ
前号でご紹介したカリジェの村, トルンの記事が発端になってカリジェの日本紹介へ口火が切られたとずっと思っていましたが、もうそれより前にひそかに熾き火は燃え始めていたのでした。
その立役者がかの有名な安野光雅先生。なんと言ってもフットワークの軽い先生のこと、すでに自主取材を済ませてこのアサヒグラフに寄稿していらしたのです。
当時現地取材を終えて帰国記事を書いたばかりの川口記者への逆取材メモによると、
▲チューリヒの近郊にカリジェの作品を沢山持っている人がいる、
▲生まれ故郷に近いクールの町のホテルにも作品が飾られている、
▲故郷のトルンの村のスルシルヴァン美術館が、いよいよカリジェの作品を
まとめて展示しはじめた、
▲トルンにはカリジェのアトリエの名前はフルッジナス、などなどの新情報。
これらが再び安野先生の興味に火をつけたらしく、NHKによる出版と展示会の開催を目指してスイスへと乗り込むことになりました。
1991年4月のことです。
アロイス・カリジェは、スイス人のイラストレーターであり絵本作家です。1902年生まれで1985年に亡くなりました。ちょうどその死亡記事をチューリヒからのスイス航空便の中で読んで、何やら日本と結びつきが生まれそうな予感がしたハイジおばさんでしたが、それが実現の一歩を踏み出したのは、1991年のことです。

前号でご紹介したカリジェの村, トルンの記事が発端になってカリジェの日本紹介へ口火が切られたとずっと思っていましたが、もうそれより前にひそかに熾き火は燃え始めていたのでした。
その立役者がかの有名な安野光雅先生。なんと言ってもフットワークの軽い先生のこと、すでに自主取材を済ませてこのアサヒグラフに寄稿していらしたのです。
当時現地取材を終えて帰国記事を書いたばかりの川口記者への逆取材メモによると、
▲チューリヒの近郊にカリジェの作品を沢山持っている人がいる、
▲生まれ故郷に近いクールの町のホテルにも作品が飾られている、
▲故郷のトルンの村のスルシルヴァン美術館が、いよいよカリジェの作品を
まとめて展示しはじめた、
▲トルンにはカリジェのアトリエの名前はフルッジナス、などなどの新情報。
これらが再び安野先生の興味に火をつけたらしく、NHKによる出版と展示会の開催を目指してスイスへと乗り込むことになりました。
1991年4月のことです。
スポンサーサイト