●カリジェとウルスリの鈴18
カリジェが長く住んだプラテンガは、スイスでも外部から人が訪れることのすくないオーバーザクセン地方の、そのまた小さな村ですが、ここは周囲がロマンシュ語圏であるのに、ここだけはドイツ語(スイスドイツ語)を話すそうです。
その訳は、昔貧しかったスイスでは、村の10家族に1家族は、食い扶持を減らすために村を出て行かねばならず、こうした流浪の民が、スイス西部からスイス中を巡って東部にまで移動しました。彼らはワルサーと呼ばれて、家の作り方など独特の文化を引きずって歩きましたが、よそ者の彼らに与えられた土地は日の当たらない北斜面、でもそれがのちにスキー場として開発され、彼らは一転して裕福になったと聞いたことがあります。
絵本とは違う荒々しいタッチのカリジェの絵
ワルサー達が定着したオーバーザクセン地方には、10キロくらい分け入ると行き止まりになる谷がいくつかあり、そのうちの一つに日本でもミネラルウオーターが発売されているヴァルスがあります。
カリジェはこうした谷や野に写生に出かけるときはいつも馬に乗っていきました。彼の絵の中に馬のお尻を描いたものが多くて閉口したことを思い出します。
隣人のアリックさんによると、カリジェは生の肉を窓にぶら下げて、それを食べにくる野生の動物たちを夢中になって写生していたそうです。
その訳は、昔貧しかったスイスでは、村の10家族に1家族は、食い扶持を減らすために村を出て行かねばならず、こうした流浪の民が、スイス西部からスイス中を巡って東部にまで移動しました。彼らはワルサーと呼ばれて、家の作り方など独特の文化を引きずって歩きましたが、よそ者の彼らに与えられた土地は日の当たらない北斜面、でもそれがのちにスキー場として開発され、彼らは一転して裕福になったと聞いたことがあります。

ワルサー達が定着したオーバーザクセン地方には、10キロくらい分け入ると行き止まりになる谷がいくつかあり、そのうちの一つに日本でもミネラルウオーターが発売されているヴァルスがあります。
カリジェはこうした谷や野に写生に出かけるときはいつも馬に乗っていきました。彼の絵の中に馬のお尻を描いたものが多くて閉口したことを思い出します。
隣人のアリックさんによると、カリジェは生の肉を窓にぶら下げて、それを食べにくる野生の動物たちを夢中になって写生していたそうです。
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