●カリジェとウルスリの鈴23
いつのまにか安野先生を置き去りにして、エンガディンの谷の奥深く分け入ってしまいました。迷子にならないうちに、カリジェに戻りましょう。
カリジェは1939年に、「百年の眠りを今も貪る」というオーバーザクセン地方のプラテンガに突如引退しましたが、その前は、創造的なデザイン業界の頂点にいて、ポスター作家としても大変有名でした。
カリジェがスイス政府観光局のために描いたポスター
とくに、わたしことハイジおばさんが数十年奉職したスイス政府観光局のチューリヒ本局のために、沢山の観光ポスターを描きました。
本局の旧社屋には、大きな壁画と、沢山のポスターが地下の倉庫に保存されていて、安野先生と一緒に見に行ったものです。本局が移転するとき、日本人にはカリジェのファンが多いと聞いた本局が、我々日本の支局にこれらのポスター活用の可能性を問い合わせてきましたが、カリジェの名が絵本でしか知られない日本では、ポスターではなにもできなかったことを残念に思い出します。
本局の2階に飾られていた大きな絵。 旅の楽しさが沢山描き込まれていた。
チューリヒでは、この他に、ムラルテングートという市の迎賓館のようなところに、カリジェがコンペティションで優勝した壁画が残っています。
ムラルテングートの壁画
カリジェは1939年に、「百年の眠りを今も貪る」というオーバーザクセン地方のプラテンガに突如引退しましたが、その前は、創造的なデザイン業界の頂点にいて、ポスター作家としても大変有名でした。

とくに、わたしことハイジおばさんが数十年奉職したスイス政府観光局のチューリヒ本局のために、沢山の観光ポスターを描きました。
本局の旧社屋には、大きな壁画と、沢山のポスターが地下の倉庫に保存されていて、安野先生と一緒に見に行ったものです。本局が移転するとき、日本人にはカリジェのファンが多いと聞いた本局が、我々日本の支局にこれらのポスター活用の可能性を問い合わせてきましたが、カリジェの名が絵本でしか知られない日本では、ポスターではなにもできなかったことを残念に思い出します。

チューリヒでは、この他に、ムラルテングートという市の迎賓館のようなところに、カリジェがコンペティションで優勝した壁画が残っています。

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エーデルワイス
たしかにリボンの飾りはエーデルワイスのようですね。
カリジェのポスターが日本に知られていないのは、単に紹介される機会がなかったからだと思います。
彼がポスターを描いていたのは第二次世界大戦以前で、日本ではスイスの観光など思いもしなかったころですからね。日本人の海外渡航が自由化されたのが1964年で、我がスイス政府観光局が日本でオープンしたのが1977年です。そう思ってみると、『ウルスリの鈴』が1954年には第一刷りが発刊されているというのは、着目した訳者も偉いし、発刊した岩波書店も先見の明があったということでしょうね。脱帽!です。
カリジェのポスターが日本に知られていないのは、単に紹介される機会がなかったからだと思います。
彼がポスターを描いていたのは第二次世界大戦以前で、日本ではスイスの観光など思いもしなかったころですからね。日本人の海外渡航が自由化されたのが1964年で、我がスイス政府観光局が日本でオープンしたのが1977年です。そう思ってみると、『ウルスリの鈴』が1954年には第一刷りが発刊されているというのは、着目した訳者も偉いし、発刊した岩波書店も先見の明があったということでしょうね。脱帽!です。
No title
ポスター、良いですね。
エーデルワイスでしょうか。帽子の飾り。
知られてないということは、それだけで大衆にはインパクトがないのでしょうね。
エーデルワイスでしょうか。帽子の飾り。
知られてないということは、それだけで大衆にはインパクトがないのでしょうね。