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[485]-ハイジおばさんの断捨離日記

💫💫💫小人閑居してデッサンをなす

小学校以来初めて、デッサンをした。
小学校の時は、級友の男の子に、すごく絵が上手い奴がいて、ことあるごとに私の描くものをバカにするものだから、すっかり絵を描くことが嫌いになっていた。

しかし、今や描ける/描けないより、老体でできること/できないこと、の方が現実的選択肢である。

そこで、座ったままで、目の前にあるものをデッサンする、という安易な方法を思いついた。もう小学校の時に、ライバル男子に、意地悪されたことなんか、構っちゃいられない!

しかし彼、どうしてるかなあ!!! 確か高田君と言ったっけ!私と同じ歳のはず!高校野球の若者たちの笑顔を見ていたら、ついつい思い出してしまった。


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デッサンのモデルにしたのは、50体近くも集めている、フランス・プロヴァンス地方のサントン人形だが、そのデッサンはついにアップロードできないままである。
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[484]ハイジおばさんの断捨離日記


✳︎✳︎✳︎百日紅は調布市の花!!!✳︎✳︎✳︎

 日課にしている野川の散歩道から、百日紅の花がチラリと見える脇道があるのが気になっていたので、ちょっと行ってみた。

DSCN3730_convert_20230811093133.jpg

 なるほど、道に沿ってずっと百日紅が植えられている。
でもこの暑さで、花も葉も元気がない。
 夏の花としては、もちっと頑張って欲しいなあ!
 
 引っ越した当初は、この木をジャカランタと間違えて、なんてオシャレな街に来たものかと大喜びしたっけ!
 でもサルもスベると言うこの木の表記が「百日紅」とは、何とも日本語は素晴らしい!

 帰り道が分からなくなってなって、通りがかりの郵便配達夫に聞いたら、
その辺を曲がるとなんとなく見えます!!! とのこと。
 なんとなく戻ってきたが、この猛暑!

 後で電柱の表示を見たら、この道は隣の狛江市と分かる。
もとは畑だったこの辺りはまるでクロスワードパズルさながら、農道は整備しても曲がりくねったり, 行き止まりも多いままで、次々に迷路に誘い込まれるよう?!

 


[482/3]ーハイジおばさんの断捨離日記 

📓📔📓 原爆投下


  駐日スイス公使が、原爆について日記に記録できたのは、投下後2日経ってからであった


(軽井沢の住まいで趣味の絵画に熱中するゴルジェ公使)

🌃1945年8月8日の日記

 広島に落とされた爆弾で十万人が犠牲になったらしい.
これは原子爆弾というもので、人間社会が新しい時代に突入したことは疑う余地がない。つまり、東京の指導者が偉そうに拒絶したポツダムの最後通牒の背後には、恐るべき脅迫事項が隠れていたのだ。

 このような恐ろしいことが起きた今、誰がこれをハッタリだったと言えるだろう。敵が今自由に使いこなすこの恐るべき武器を前に、日本のベテラン戦争屋の面々はどうするだろう? 日本はもう半分負けたと同じだ。苦境から名誉ある撤退を図る希望は残されているだろうか?望みは全く無い! 世界中が多かれ少なかれ予想していたように、ロシア人がここぞとばかりに宣戦布告してきたのだから。しかるべき参戦の理由がないことは半年か一年前と何の変わりもない。彼らはマッカーサーという乗合馬車に、ブンブン唸るハエみたいにくっついてきたのだ。もう勝ち負けが決まっている戦いに参戦してくるとは、一体どういう心算なのだろうか?

 日本は48時間以内に降伏すべきだ、そうしなければ他にも広島と同じことが起こると警告されていると言う流言が飛び交う。
 政府は、最後まで戦わないという恥辱と、この国が被る絶大な損失への認識との間で揺れ動く、悲劇的な時を過ごさねばならない。


                         カミーユ・ゴルジェ著『駐日スイス公使が見た第二次世界大戦』より。


📓📔📓1945年8月9日の日記

 もう一つ悲劇が起きた。

  今度は長崎が広島と同じ受難である。
二発目の原爆が長崎を壊滅させたのだ。

             カミーユ・ゴルジェ著『駐日スイス公使が見た第二次世界大戦』より

481-ハイジおばさんの断捨離日記

🇨🇭🇨🇭🇨🇭 8月1日はスイスの建国記念日 🇨🇭🇨🇭🇨🇭 

      
 昨日8月1日は、スイスの建国記念日だった。

 ウィリアムテルの名前も登場する1291年の建国から、今年は722年目となるが、中央スイスのリュットリの野では、例年通り素朴な祝典が催された筈である。

 この春、私が翻訳して大阪大学出版局から出版された、カミーユ・ゴルジェの『駐日スイス公使が見た第二次世界大戦』の足掛け6年間の日記では, 1945年のこの日には次のように記されている。
 
 広島への原爆投下5日前の記述である.
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      "昨日、私の山の住まいに、軽井沢に避難しているスイス人を集めて、
      [建国記念日]を祝った。

      とても厳粛な雰囲気だった。
      というのは、我々は近頃極めてドラマチックな日々を送っていたから
      である。

      日本は断末魔の苦しみだ。
      昼となく夜となく、絶え間なく空襲されている。
      彼らの町は次から次へと燃えている。
      明日残っているのはどの町だろうか?

      八月一日の午前中、私は午後に行う演説の練習を終えたところで、
      ガラス窓が絶え間なく震えるのを見た。
      町から町へと空襲に襲われているのだ。多分、高崎か上田だろう。

      片手にペンを持ったまま、自分のひなびた書斎の中で私は、
      “リュットリの誓い”を、そして死にゆく人々、逃げる途中の者、
      怪我した人たち、半狂乱の人々思い浮かべていた。

      頭の上で弔いの鐘を鳴らすような、感動的で不安を掻き立てる
      ひとときであった。そしてお昼過ぎには、
      みんな揃って歌を歌うことになるのだ・・・。

『駐日スイス公使が見た第二次世界大戦』より"


[480] ハイジおばさんの断捨離日記]

🌟🌟🌟
[駐日スイス公使が見た第二次世界大戦]
        ついに発刊!


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 2018年から5年近い歳月をかけた翻訳がついに完成、去る四月十日に、大阪大学出版局から無事に発刊されました。
 A/5版総ページ数581ページという,枕にできそうな本ですが、日記なので、気軽に読み進められます。


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この日記は戦時下の日本でメモされ、 著者の公使がスイスへ帰国してから数年後にまとめたもので、その時間差が新たな分析の対象になると注目される研究ともなっています。

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 日記の他に、2人の著者の教授による前書き、後書き、人名索引、テーマ別ノートなどが付記されており、歴史的な分析の対象として新たな興味を呼ぶことでしょう。


 
プロフィール

ハイジおばさん

Author:ハイジおばさん
スイスとのおつきあいは、スイス政府観光局から始まって、もうかれこれ45年。まだまだ奥深いスイスの魅力を追いかけています。hpもどうぞご覧下さい。
www.office-romandie.info/

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