[402] 『マルチナ・ヒンギス』(E.バリリエ著、鈴木光子訳, 1997年刊)

1章(12):例外中の例外

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 いや、私は、マルチナ・ヒンギスが、「1996年のスイス人第1位」に選ばれたのが、間違いだとは思わない。残念なのは、それを確かめられないということだ。間違いなく言えるのは、観客層とは、または無意識の集団というものは、リッチさに、勝者に、若さに、そして力に軍配を挙げると決まっている。しかし我われは、社会共同体の一員である前に一人の人間である。我われの一人一人が、自分の中に、才能に対し、また芸術に対し、そして遊びに対して軍配を挙げたい欲望を持っている。我われの一人一人は自由であって、商業的な価値など投げ捨てたい欲望を秘めている。スポーツの勝利の背後に、自分の好きなように美の代償を見つけ、その目に見える証拠を確認し、力と金の世界が、無償で、行動のための行動、輝く肉体、純粋な完璧性へと変わる事に、無言の賞賛を捧げているのだ。

[401]『マルチナ・ヒンギス』(E.バリリエ著、鈴木光子訳, 1997年刊)

1章(11):例外中の例外 images-2_convert_20170217121959.png


 ロジェ・カイヨワが、五十年代の終わりに『遊びと人間』を著した頃、スポーツは未だ遊びのひとつのノーブルな展開と考えられていた。つまり身体を用いた遊びである。自由に、また総合的に作り出した規則は、人間の闘争心を昇華して表現し、オリンピックの競技に見られるこのアゴン(コンテスト)は、人類が発明した文明の重要な要素だったにちがいない。
 しかし、プロスポーツを嫌う人からは反論があるだろう。時代は変わってしまったと。
 遊びは、確かに文明のひとつの要素かも知れない。
 しかし、いまやスポーツは遊びではなくなっているのだ。五十年代には、体操もテニスもサッカーも、いまのように何千万の金を云々することはなかった。今日では、新聞で発表されるテニス試合の予定には、二つの項目しか無い。試合の場所と賞金の額である。退廃の極みだと嘆く人もいる。確かに誰かがハシゴをはずさなければならない。あのマルチナ・ヒンギスに有利だったスイスの投票、それはこの意味ではまがいものなのだろうか?

[400]『マルチナ・ヒンギス』(E.バリリエ著、鈴木光子訳, 1997年刊)

1章(10):例外中の例外

テレビというものが、スポーツの世界では、しばしばその素晴らしいスローモーション撮影技術で、サッカーの脚さばきやら、体操選手の素晴らしい回転技や、スケート選手の跳躍や、テニス選手の素晴らしい走りを、まるでダンスの一場面のように優美なコメントをつけて紹介するとき、スポーツ嫌いの面々は、こんなメロディックなスローモーション画面は、アイドル用の束の間の作りもので、芸術の素晴らしさを現したものではないというだろう。
その「切り取った」一場面をもって、「美」を見せようというつもりだろうか?いやそれが見せているのは力なのである。

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[399]『マルチナ・ヒンギス』(E.バリリエ著、鈴木光子訳, 1997年刊)

1章(9):例外中の例外

Hingis_4_convert_20170425215941.jpeg ドイツのある週刊誌によって行われた全種目、すべての職業、年齢を問わない人気投票で、「1996年の第1位のスイス人」に選ばれたのが、マルチナ・ヒンギスであった。第2位は、アトランタ・オリンピックの体操で金メダルを取ったリ・ドンファである。ちなみにスイスでノーベル医学賞をとったロルフ・ツィンカーナーゲルは第3位でしかなかったが、それでも政治家は大きく引き離していた。上位10人の中には芸術家の名も多く見られたが、社会活動家とか赤十字の代表などが選ばれることはなかったのである。

この結果を見て、スポーツ嫌いの連中の言いそうなことは判っている。目で見えるものしか、人は興味を持たないと!。一般大衆は明らかにマルチナ・ヒンギスを選んだ。それは、彼女が、研究者や絵描きや看護婦より、明らかに頻繁にテレビに登場し、新聞に書かれたりしているからではないのか? それは彼女が、芸術より、スポーツを実践し、試合に勝ち、金を稼いでいるからではないのか?

[398]『マルチナ・ヒンギス』(E.バリリエ著、鈴木光子訳, 1997年刊)

1章(8):例外中の例外

 彼女が実践するスポーツ、シリアスな方々の注意を引きそうもないこのスポーツは、テニスの美しさと重要性を説いてやまないあのナボコフを引き合いに出すまでもないとしても、このスポーツに関して、テニスのラケットは軽蔑するが、ヴァイオリンやハープの弦は愛してやまないと言って憚らない人々を私は信じない。例えスポーツが、巨万の富で腐らせ、変形させられるものであったとしても、それは基本的には無償のものである。それは芸術と同じく、遊びの表現である。ホモルーデンスは遊戯する自由な人間である。これがこの本を書く基本の精神である。 

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 無謀な試みだとおっしゃる声が聞こえるようだ。大真面目な方々の失笑を買うことだろう。彼らは、スポーツは遊びにはなり得ないし、ましてや無償の遊びなどではない、と言うだろう。ましてやアートだなんてとんでもない。それは勝つことへの渇望で台無しにされ、獲得することの誘惑に駆られて、腐敗している。テレビという魔物が、使い捨て同然の視聴者に、偽の価値を押し付けているのではないか?

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ハイジおばさん

Author:ハイジおばさん
スイスとのおつきあいは、スイス政府観光局から始まって、もうかれこれ40年。まだまだ奥深いスイスの魅力を追いかけています。hpもどうぞご覧下さい。
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